【解説】文豪の筆跡04 芥川龍之介画 内田百閒像 1927(昭和2)年5月5日
酒を飲んで一人で醉つた時、私の朦朧とした頭の中に、氣味のわるい菊花が燦然と咲き誇つた。——内田百閒「菊」
その硝子(ガラス)に、青ざめた私の顏が映つてゐた。おやと思つて、目を外らさうとしたけれども、私の目は動かなかつた。青ざめた自分の顏に見入られたまま、何時までも自分の顏と睨(にら)み合つてゐなければならなかつた。——内田百閒「映像」
【解説】
芥川龍之介が最晩年に描いた内田百閒の似顔絵です。ユーモラスな中にも、どこか不気味さが漂う戯画3枚。これらは、法政大学で百閒にドイツ語を学び、同僚となった多田基(もとい?1901-1995)氏のもとに残されていました。
多田氏は後に本学の理事長?学園長?学長を歴任しています。その関係で、百閒との師弟関係にまつわる多数の資料が、2008年にご子息から本学に寄贈されました(『多田基旧蔵 内田百閒書簡?写真集』2011年5月、実践女子大学文芸資料研究所刊を参照)。この絵が残された経緯について、かつて多田氏自身が次のように回想しています。
ここに掲げた芥川の百閒先生似顔絵三葉は、先生が某日金策を依頼に行った時、会話のうちに芥川が感じとった先生の印象を机上の興文社原稿用紙にペンを走らせて先生に渡したものである。芥川は死を覚悟していて、先生にこの似顔絵を最後の贈物としたかったのかも知れない。/芥川邸からの帰途、先生は私の家に立ちよって、用件は旨く行きそうだと話しながら、この似顔絵を預ってくれと言われ、私はこれを大切に筐底に秘して置いた。(多田基『内田百閒先生の憶い出』1988年12月、実践女子学園刊)
百閒の借金は有名で、その極意が味わい深い数々の随筆に余裕たっぷりに描き出されています。百閒が多田氏に芥川の戯画を託した真意は不明ですが、すでに高利貸に追われる身となっていた百閒は、これを自分の手元に置いて散逸させるよりも、信頼できる弟子に贈った方がよいと考えたのかも知れません。あるいは、その頃の百閒を様々な形で助けた多田氏への感謝を示したものでしょうか。
この日の出来事が、1927(昭和2)年5月5日の芥川の公開日記に見えています。「内田百間君来る。内田君と一しよに興文社に至る。二月ぶりなり。やつと内田君の為に用談をすまし、偶々玄関を出でんとすれば活動写真を映さんとするが如し。脱兎の如くタクシイに乗りて遁走す」(「晩春売文日記」『新潮』1927年6月号)。ところが、百閒の方ではこの日について、「全集の名前を染め出した幟(のぼり)に囲まれたところで、活動写真に写された」(「湖南の扇」『文芸』1934年1月号)と、芥川の記述と矛盾することを書き残しているのが、一つの謎です。
1910(明治43)年、岡山の第六高等学校を卒業して東京帝大に入学した百閒(内田栄造)は、翌年敬愛する夏目漱石を訪ねて弟子となり、後に入門した龍之介とも漱石の門下生として出会いました。1918(大正7)年、横須賀の海軍機関学校に英語教師として勤務していた芥川の紹介で、同校にドイツ語教師として赴任。さらに1920(大正9)年に法政大学予科独逸語部に迎えられ、そこで教えた多田氏らに生涯の師と仰がれます。創作集『冥途』(1922年2月、稲門堂書店刊)以降、日常にひそむ怪奇を凝縮された文章でえぐり出す異色の小品を発表し続け、やがて稀代の随筆家として名を馳せるに至りました。その怪奇作品の世界を鈴木清順監督が脚色して「ツィゴイネルワイゼン」(1980年シネマ?プラセット)を制作し、教え子との交流や愛すべき人柄を黒澤明監督が遺作「まあだだよ」(1993年大映)の題材にしたことでも知られています。
ところで、1927(昭和2)年7月24日に亡くなった芥川が、その前々月に描いて残したこの戯画をどう解釈すればよいのでしょうか。「渦巻の巻き方の違いが意味するものは?」「3枚は独立した図なのか連作なのか?」「怖がりの百閒がこれを受け取った時の心境は?」——考えてみると謎はつきません。
ただ、基本となるモチーフは、分身幻想(ドッペルゲンガー)を扱った「映像」(『我等』1922年1月号)や「先行者」(『新小説』1922年12月号)、あるいは強迫観念の世界を描く「菊」(『女性』1927年6月号)など、いずれも百閒の作品にちなんだものです(『旅順入城式』1934年12月、岩波書店刊所収)。やっと一冊の創作集を出したばかりのところで、借金問題に苦しみ、思うさま文業にも打ち込めない友人に贈る、作家としてのエールの意味があったことは確実でしょう。
芥川との交流を描いた百閒の随筆は、ちくま文庫の『私の「漱石」と「龍之介」』にまとめられています。晩年の芥川の印象にもとづく作品「山高帽子」(岩波文庫『冥途?旅順入城式』、ちくま文庫『冥途—内田百閒集成<3>』ほかに収録)もあわせてご覧になってみてください。(河野龍也)