土屋 結城先生②(オスカー?ワイルドに関する新発見)
原動力は、“自分がやらなければ”の使命感。
本学図書館に眠っていた、
オスカー?ワイルドに関する貴重な史料を世に出して。
土屋 結城
Yuki TSUCHIYA
英文学科
専門分野?専攻/イギリス文学
Yuki TSUCHIYA
英文学科
専門分野?専攻/イギリス文学
[プロフィール]津田塾大学学芸学部英文科卒、津田塾大学大学院文学研究科英文学専攻後期博士課程単位取得満期退学。國學院大學文学部非常勤講師、津田塾大学非常勤講師等を経て、2007年実践女子大学に着任。2022年より現職。
手書き文字のある、一枚の切り抜きに目を留めて
オスカー?ワイルド(1854年~1900年)は19世紀末イギリスで活躍した作家で、日本では『幸福な王子』『ドリアン?グレイの肖像』などの小説や、『サロメ』などの戯曲の作者として知られています。ワイルドは同性愛者でもありましたが、当時のイギリスでは、同性愛は刑法に触れる罪とされていました。
日本におけるオスカー?ワイルド研究のパイオニアが本学名誉教授でもある本間久雄先生(1886年~1981年)で、研究のために先生が集めた英文学関係の資料は、死後、ご遺族より本学に寄贈されました。寄贈された資料は「本間久雄文庫」として、本学渋谷キャンパスの図書館特殊資料室に収められています。この資料の中に、ワイルド存命中の1870年代から1922年までのワイルドに関する新聞?雑誌記事などを集めた、17集からなる切抜帖「メーソン?ライブラリー」があります。
本学では、2019年に「メーソン?ライブラリー」をデジタル?アーカイブ化し、図書館ホームページ上で公開しています。ある時、デジタル?アーカイブで「メーソン?ライブラリー」を眺めていて、ちょっと毛色の変わった切り抜きの存在に気づきました。それが、このイグアノドンのイラストが描かれた一枚です。
それ自体はThe Illustrated London Newsという新聞から切り抜いたものに思えるのですが、そこに手書きで文字が書き込んであります。上方にある手書き文字の横には、「この一枚の絵には、クイーンズベリー侯爵自身の手書き文字がついているが、1895年5月にオスカー?ワイルド宛に侯爵が送ったものである」という意味の英文タイプが貼り付けられています。このタイプ文字は誰の手によるものなのかはわかりませんが、切抜帖である「メーソン?ライブラリー」の作者の一人、スチュアート?メーソンの可能性があります。
タイプ横の手書き文字は、「Original ancestor of Oscar Wilde on the war path of the madness of kissing young males」、日本語訳すると「若い男性にキスをするという狂気の沙汰に嬉々として向かう、オスカー?ワイルドの先祖」と書いてあるように読めます。
クイーンズベリー侯爵は、オスカー?ワイルドが同性愛者であると侮辱し、名誉棄損についてワイルドと裁判で争った人物です。侯爵がイグアノドンのイラストが描かれたThe Illustrated London Newsのページを破り、そこにワイルドの悪口を書いて送った、という出来事はワイルドの研究者や愛好家にはよく知られているのですが、これまで、その実物が世に出ることはありませんでした。それが、本学が所有する「メーソン?ライブラリー」の中に眠っていたのではないかと、この切り抜きを目にして私は思ったのです。
しかし、この切り抜きにはクイーンズベリー侯爵の署名など、「本物である」証拠となるものはありません。そこで、切り抜きに書かれた手書き文字を解読し、侯爵の伝記に収録された手紙などから確認できる侯爵の言葉遣いや現存する史料の筆跡などと付き合わせて考察することにしました。
切り抜きの挿画が、学会誌の表紙を飾る
ここで、クイーンズベリー侯爵について、改めて確認します。彼には4人の息子がおり、三男のアルフレッド?ダグラスがオスカー?ワイルドと同性愛関係を持っていました。長男が同性愛者なのではないかと噂され、自殺を疑われるような状況で亡くなった、という背景を持つ侯爵は、三男ダグラスとワイルドとの同性愛関係に非常に憤り、ワイルドを探して劇場に押しかけたり、侮蔑的な言葉を書いた名刺を彼宛に残していったりするようになりました。この名刺は現存しており、侯爵の筆跡を確認することもできます。
オスカー?ワイルドに対する名誉棄損を争う裁判はワイルド側が不利になって訴えを取り下げましたが、ワイルドは同性愛の罪で逮捕され、その裁判の後に保釈されました。クイーンズベリー侯爵は保釈されたワイルドを自分の次男パーシー(ホーウィック卿、Lord Hawick)がかくまっていると思い込み、次男の妻に向けて嫌がらせの手紙を送っています。
切り抜きの考察に戻りますと、イグアノドンのイラストの上には先述の「~オスカー?ワイルドの先祖」という書き込みが、右には「To Rouen/flight of the slim gilt soul」という文字と矢印、下には「H of shitters with bail/ birds of a feather flock together」、そして記事のキャプションにつなげるように文字が書き込まれています。
調べてみると、オスカー?ワイルドの裁判中、同性愛の相手であるダグラスはフランスのルーアン(Rouen)に滞在していました。「To Rouen/flight of the slim gilt soul」は「the slim gilt soul(ほっそりとした輝く魂、=ダグラス)が逃げたルーアン」といった意図なのではないかと考えます。また、下に書き込まれた文章「H of shitters with bail/birds of a feather flock together」の「H」は保釈金(bail) を支払ったパーシー(Lord Hawick)のことだと推測されます。彼に対する「shitters」や、「birds of a feather flock together(同じ穴の狢、といった意味)」という表現は、クイーンズベリー侯爵が次男の妻に送った手紙にも見られるものです。
これらのことから、この切り抜きはクイーンズベリー侯爵が文字を書き込んで送ったと言われているものの実物であること、またそこには同性愛者であるオスカー?ワイルドに対する、侯爵の侮蔑や嫌悪の気持ちが込められていると考えられます。
こうした考察を論文にまとめ、イギリスのオスカー?ワイルド学会に送ったところ、学会誌The Wildean に掲載されました。切り抜きが見開きで紹介されるなど大きく扱われたことに驚いたのですが、クイーンズベリー侯爵の手書き文字をあしらったイグアノドンのイラストが表紙を飾ったことにはさらにびっくりしました。
私自身、この切り抜きはクイーンズベリー侯爵が送ったものの実物に違いないという確信があったわけではないのですが、新発見であること、ほぼ本物であることがイギリスの研究者たちから認められたのに等しい状況だと捉えています。長い間、「メーソン?ライブラリー」に埋もれていたこの切り抜きが実物であることを、今、自分が証明しないと、貴重な史料がまた埋もれてしまうかもしれない、と一生懸命に研究に向き合いましたので、こうして認められたことに大きな感慨を抱いています。
The Wildean には、「メーソン?ライブラリー」が本学の図書館に収蔵されていることや、それがデジタル?アーカイブ化されておりインターネットで閲覧できることも紹介されています。これを機に「メーソン?ライブラリー」に改めて注目が集まり、また新たな発見がなされるかもしれません。
コロナ禍が完全に収束していないこともあり、今回の研究はインターネットで収集できる範囲での史料を使用することがほとんどでしたので、今後はイギリスやアメリカに足を運んでクイーンズベリー侯爵が遺した史料などを実際に確認し、より研究を深めたい。また、今回の経験で、同性愛者を含めセクシャルマイノリティと言われる方々の立場についての研究が不足していることを実感したので、今後はさらに研究範囲を広げ、そういったテーマについても追究したいと考えています。
文学や文化を学ぶことは、人について学ぶこと
主宰するゼミでは、主に19世紀イギリスの文学や文化を取り上げています。卒業論文のテーマは、学生の関心に合わせて自由に設定してもらっています。19世紀イギリスの小説を取り上げる学生もいますが、近年は「19世紀ヴィクトリア女王から現代に至る、イギリス王室が打ち出すイメージの変遷」や「19世紀イギリスの貧困問題」、「(現代日本アーティストの)ヨルシカに見るオスカー?ワイルドの影響」など、当時のイギリスの文学や文化を取り上げながらも、現代の事象と結び付けて考察する内容もよく見られます。
私のゼミに限らず、自分の興味の赴くままにテーマを決めて自由に研究に取り組めることが本学英文学科の魅力。特に最近はセクシャルマイノリティについて関心を持つ学生も多いのですが、このテーマはフェミニズム研究と地続きの面があります。女子大である本学はフェミニズム研究についても実績と定評があり、先行研究や資料が充実し指導できる教員も多いので、こうしたテーマについて理解を深めたい学生にとって絶好の環境が整っているのではないかと思います。
文学や文化を学ぶことは、人について学ぶこと。イギリスやアメリカの文学や文化について学ぶと、日本とは異なる面もあるけれど同じ面もあると気付くことでしょう。そうして学びを深めていくと、異なる文化の中で生きてきた人たちとともに生き協働するためにどうすればいいか、自分なりの考えを育めることと思います。
「英語がなんとなく好き」でもいいし、「洋楽が好きで、詩に込められていることをもっとよく理解したい」でも「ハリー?ポッターを原文で読みこなせるようになりたい」でもいい。自分の中の「好き」という思いや、何かに対して関心を抱く気持ちを大切にすることをきっかけに、これからの自身の基盤をつくる、意義ある学びを体験してほしいと考えています。