稲垣 伸一先生
奴隷制の廃止や女性の地位向上。「理想的な社会」の実現のために奮闘したスピリチュアリストたちの足跡を見つめる。
稲垣 伸一
Shinichi INAGAKI
英文学科
専門分野?専攻/19世紀アメリカ文学?文化
Shinichi INAGAKI
英文学科
専門分野?専攻/19世紀アメリカ文学?文化
[プロフィール]早稲田大学 教育学部英語英文学科卒、明治大学大学院 文学研究科英文学専攻博士前期課程修了。山梨大学非常勤講師、山梨英和大学助教授等を経て、実践女子大学へ。
国が激しく揺れ動く中、スピリチュアリズムがブームに
1776年の独立から数十年を経て、19世紀半ばのアメリカは産業革命による鉄道網の発達、西部開拓、南北地域の対立激化から南北戦争の勃発など、国家として激動の時代を迎えていた。そんな中、あるムーブメントが巻き起こる。スピリチュアリズム(心霊主義)の流行である。
19世紀アメリカの文学?文化を専門とする稲垣伸一先生が研究活動の中で注目してきたのが、このスピリチュアリズム(アメリカン?スピリチュアリズム)である。「1848年、ニューヨーク州西部の都市ロチェスター近郊のハイズヴィルという村で起こったある出来事が、スピリチュアル流行のきっかけとなりました。農夫ジョン?フォックスの家で原因不明の物音が立てられる心霊現象が起き、妻や2人の娘が、物音を立てている霊との交信に成功したのです。この出来事は“ロチェスター?ラッピング”と呼ばれ、フォックス家にはうわさを聞き付けた多くの人が押し寄せます。やがて娘マーガレットは心霊現象の興行を行うなど、霊媒として活躍するようになりました」先生は解説する。
結核やコレラなどの伝染病により多くの人が亡くなっていたこと、また心霊現象が科学的に否定されておらず「まだ科学で解明されていない自然の法則の中で起こる現象」と捉えられていたことなどを背景に、スピリチュアリズムはアメリカ国内に広がっていく。1854年頃には降霊術愛好者が約300万人、霊媒が1万人いた、という記録も残っているそうだ。一般大衆ばかりでなく、ジャーナリストや小説家、詩人など当時の知的エリートも関心を抱いていたことも判明している。
こうしたスピリチュアリズムを信奉した人々は「スピリチュアリスト」と呼ばれた。彼らは、天上に住む死者の霊と地上の人間はコミュニケーションが図れると信じていた。興味深い点は、と先生は言う。「こうしたスピリチュアリストの多くが、当時のアメリカ社会が抱えていた問題を意識し、“社会をより良く変えよう”という社会改革思想を持っていたことです」
地上のこの社会を、天上世界のように理想的なものへ
霊の存在を信じる人が、なぜ「社会をより良く変えよう」と考えるようになるのだろうか。現代日本の場合、スピリチュアリズムには恋愛成就や受験合格といった個人的な願いを託されることが多いため、ちょっと不思議に感じる。先生に訊ねると、そこがアメリカン?スピリチュアリズムの特徴、という答えが返ってきた。「当時のアメリカン?スピリチュアリストたちは、霊が住む天上の世界は欠点も矛盾もない、天国のようなところだと考えていました。しかし自分たちが暮らす地上にはさまざまな矛盾に満ちあふれている。そこで、霊のメッセージを受けてそうした矛盾を一つひとつ正していこう、という発想が生まれ、多くの人を惹き付けていったんです」
また先生は、「千年王国思想」というものも影響していたと教えてくれた。「意外にもアメリカ人は、欧米諸国の中でも宗教を重視する傾向が高いことが、各種の統計から明らかになっています。アメリカでも多くの人が信仰しているキリスト教には“千年王国思想”という、キリストの再臨により千年にわたって幸せな時代が到来する、という思想があります。だからその前に、今ある課題を解決しておかなければならない、という考えを持つ人もいました」スピリチュアリズムはキリスト教に容認されるものではなかったが、スピリチュアリストの中にはこの千年王国思想を信じている者も少なからずいたようだ、と先生は語る。
霊たちが住む天上のように、調和した社会を地上につくる。千年王国思想を実現する。そのためには、自分たちを取り巻く矛盾を解決しなければならない。こうしてスピリチュアリストたちは社会改革に取り組んでいった。
奴隷制の廃止と女性の地位向上の実現を目指して
彼らが目指した代表的な社会改革が、奴隷制の廃止と、女性の地位向上だった。どちらも、19世紀アメリカ社会において大きな問題となっていたテーマである。「例えば、逃亡奴隷でありその体験を自伝小説にまとめて発表したハリエット?A?ジェイコブズを支えたエイミー?ポストは、スピリチュアリストにして熱心な奴隷制廃止論者であり、女性解放運動の活動家でもありました。彼女は、ロチェスター?ラッピングで有名になったフォックス姉妹の強力なサポーターとしてスピリチュアリズムの流行に一役買い、ジェイコブズには奴隷としての体験を書くように勧めました」また、当時大手と位置付けられていたスピリチュアリズム雑誌のほとんどが奴隷廃止論を擁護する記事を掲載していた、と先生は話してくれた。そして1862年、リンカーンによって奴隷解放宣言が出され、奴隷解放の機運は社会的にも高まっていった。
「一方、女性の地位向上については、1848年にニューヨーク州西部の街セネカ?フォールズで、アメリカで初めて女性の権利を求める集会が開かれたことを機に、女性解放運動が繰り広げられます。スピリチュアリストの多くが賛同し、女性の権利を擁護する声を上げていきました。1860年代に入り南北の対立激化などによって社会が不穏になると、スピリチュアリストではない女性運動家は女性参政権を求めるものへと運動を一本化し、南北戦争中はその運動もほぼ休止してしまいます。しかしスピリチュアリストたちは、参政権はもちろん、結婚や財産について自己決定できる権利をも女性が獲得できるよう主張し続けました」アメリカが国として女性参政権を認めるのが1920年と、女性の地位向上は奴隷制廃止とは異なり状況が進展するのに時間がかかった、と先生は続けた。
しかし、奴隷制廃止にしろ女性の地位向上にしろ、スピリチュアリストたちの活動が社会の改革にどれだけ貢献したのかを具体的に紹介することは難しい、と先生は言う。「エイミー?ポストのように、スピリチュアリストと奴隷制廃止論者や女性解放運動の活動家を兼ねていると、その活動は、奴隷廃止論者や女性解放運動の活動家として評価される。スピリチュアリストとしての活動の成果を裏付ける文献があまりないのです。けれど、スピリチュアリズムが当時のアメリカ社会にかなり広く浸透し、多くのスピリチュアリストが社会をより良くするために活動したことは歴史的な事実として残っています」
やがて、科学の進展とともに、スピリチュアリズムも下火になっていく。しかしその名残は、現代アメリカ社会のそこかしこで目にすることができる、と先生。「例えば、今も霊媒を称する人がおり、霊とコミュニケーションを図るイベントを興業として成り立たせています。また、国内にセドナ(アリゾナ州)やブラッドレスヴァレー(コロラド州)などスピリチュアル?スポットと呼ばれる場所が数多くあり、たくさんのアメリカ人が足を運んでいます」そしてまた、19世紀アメリカでスピリチュアリストたちが改革を目指した、人種差別や女性の地位の低さといった問題も、今なおアメリカ社会に残り続けている、と先生は語った。
これから社会の中で、毅然として、意義ある人生を送るために
先生はこうしたことを、ただ知識として学生に習得してほしいわけではない、と言う。「まず、アメリカや、自分が今暮らす日本の社会状況についてある程度自分なりに把握して、その上で、19世紀アメリカがどういう社会だったのかを見てみる。すると、“現在に至るまでの間でこういう点が変わった”“この問題は今も続いている”などと気づくことがあるでしょう。スピリチュアリストたちをはじめ19世紀アメリカを生きた人々が感じていたさまざまな問題が現在も根強く残っていることを認識して、それでは自分はそれに対しどのように向き合っていくかを考える。それは知識の習得に留まらない“生きた学び”となるでしょう」
女子大だけに、特に女性の地位向上について関心を抱く学生も多いという。しかし受けとめ方を一つ間違うと、「こんなにひどいことがあったけれど、むかしの、しかも日本ではない国での出来事」という認識で終わってしまう。でもこの問題は現代日本を生きる学生たちにとって決して過去のことでも他人事でもない、と先生。「残念ながら、社会の中心に位置するのは男性、という風潮は、現代のアメリカにも日本にもある。女性であるがゆえに活躍の場を得られない、そういったことは今も十分に起こり得るのです。自分も差別される側になる可能性がある、そう捉えることでこの問題に向き合う姿勢の真摯さも、学びから得られることもぐっと深くなるのではないでしょうか」
さらに先生は、学生には考える力、そしてその考えを相手に伝える力を在学中に身につけてほしい、と語る。「学生たちは卒業後、激しく変化する社会の中で何十年も生きることになります。就職に役立つような技術や知識を習得することも大切だけれど、多分それはすぐに時代遅れになってしまう。せっかく本学で学ぶからにはもう少し長い目で見て、その先の人生の支えとなるものを得ていってほしいのです」そのための場として、先生はゼミを活用している。先生のゼミは、19世紀から20世紀初頭にかけてアメリカで発表された小説などの文学作品、そしてアメリカ文化を主なテーマとして取り上げるもの。月1度学生を教室に集めて卒業論文の書き方や構成などについて指導し、それ以外のゼミの日は個人面談に当てる。学生が提出した論文に赤入れをして、より良くするためにはどうすればいいのかレクチャーしている。「当初はあまり文章を書き慣れていない学生も多く、考えを相手に理解してもらうには言葉が足りなかったり、論の説明が順を追ってなされていなかったり、というケースが目につきます。そこで、“自分の中にもう一人自分を置いて、この文章で本当に理解してもらえるか自問自答しながら書いてごらん”と勧めます。“論文であるからには難しいことを書かなければいけない”と思い込んでいるケースもままありますが、極端なことを言えば小学生でも理解できるような文章で書かれているのが良い論文。1文を短くまとめながら、平易な表現で自分の考えを理解してもらえる文章を書けるよう、卒業論文を通じてトレーニングしてもらっています」
先生の研究室には、学生ごとにまとめたファイルが置かれている。論文が提出されるたびにファイルに重ねていき、卒業論文の口頭試問が終わったところで学習成果として学生に手渡す。その時、最初のものと最後のものを読み比べるように話すそうだ。「そうすると、自分が明らかに成長したことを学生が自覚できる。こんなにがんばった、という手応えと自信を抱いて社会に羽ばたいてほしいと、手渡すたびに心の中でエールを贈っています」
ピックアップ授業!
アメリカ文学?文化講義
今回のインタビューでメインテーマとなった、アメリカン?スピリチュアリズムの流行と、小説をはじめとする文学作品や映画などとの関わりを取り上げる講義。作品の社会?時代背景や注目ポイントなどを紹介した上で、毎回、授業の最後にコメントをまとめてもらい、一連の講義を通じて考察力を高めていく。関連する資料は原典(英文)で紹介し、英文読解力の向上も目指す。
おすすめの本
『サピエンス全史(上下巻)』『ホモ?デウス(上下巻)』
(ユヴァル?ノア?ハラリ、河出書房新社)
両方とも今とても売れている本で、前者は人類の歴史を語った壮大な物語。「現代に生きる自分は、このようにして形成された世界に存在しているのだな」と納得させられる。訳文が読みやすく、内容が高尚なのにとても理解しやすいことも魅力。後者は購入したものの仕事に追われてまだ手をつけられていないが、きっと面白いのだろうな、と今からワクワクしている。
※2018年10月 渋谷キャンパス研究室にて