「無駄」の話
おかしくなったもんです。暑くて暑くてたまらない秋の日が訪れたと思えば、次の日にはけろっとした顔で雲は冷たい空気の中に雨を降らせるのですから。
しかしカレンダーの数字は秋を告げ、体感だけは夏とも秋とも冬とも言えないような、四季などどこにも無いような毎日が淡々と続いております。みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
気が付けば、一年もあと少し。年々一年を短く感じるようになり、時間をもう少し大切にしなくてはと感じております。
ですが、怠惰な大学生活を送る私の生活の中には、世間的に「無駄」と言われるような時間が数多く存在しています。ただ、私の中ではこの「無駄」の時間が唯一の安らぎであり、「無駄」がなければ日常を地に足をついて歩くことはできません。
朝の満員電車やら、新宿や渋谷の雑踏やら、人、人、人、の空間に毎日のまれていると、北のど田舎出身の人ごみ慣れしていないマイペースオブマイペースな私は、いまだに気疲れして週末にはへとへとしおしおになってしまいます。
そんなへとへととしおしおを解消すべく、私が普段から実践しているのが「無駄」を日常に取り入れるということです。こいつは本当に何をしているんだと思われる方が大半だと思われますが、私の「無駄」の無駄話に少々お付き合いください。ややこしくてすみません。
「無駄」その1
急行電車が来ているのに、わざわざ次の各駅停車に乗る。
もしかしたら私と同じように実践している方も多いのではと思うのですが、私は時間がある時は必ず各駅停車に乗ります。
各駅停車に乗ると、まず、席に座れる可能性が高いのです。各駅停車はやはり急行電車に比べて人が少なく、端の席に座れることも多々あります。さらに、私は電車の中でよく読書をするのですが、電車の中での読書は、普段に比べてかなりはかどります。
各駅停車に乗って、読書に耽る時間を延長し、現実逃避するという「無駄」を私は楽しんでいます。
「無駄」その2
家の中にあるあらゆるものを一度解体し、組みなおす。
これは本当に、何をしてるんだこいつは??と思われても仕方がありませんが、高校時代から私が無になるためによくやっていることです。最近だと、家の中のローテーブル-上京してきた際に組み立てた-を解体して満足し、そのあとまた組みなおしました。解体している間は、何も考えず、いや、逆に考えすぎているのかもしれませんが、ごちゃごちゃと考えていたすべてのことがぎゅっとまとまるような、いや、すべてが頭から抜け落ちて考えることすらも放棄しているような。つまり、普段考えなくてはならない面倒なことすべて、忘れることができる時間なのです。
「無駄」その3
駅から自宅に戻るまでの道の途中で、出会った鳥の数や電柱の数、家の色を覚えたり数えたりすることです。
私は駅から自宅までの距離がそこそこあるため、歩いている時間はイヤホンで音楽やラジオを聴いていることもあるのですが、最近はイヤホンを外して毎日変わらない景色の中に面白さと楽しさを見出そうとこのような「無駄」を実践しています。これが意外と面白くって、毎日同じ景色のはずなのに、こんなところにこんな家あったっけ、こっちの道から帰っても面白いかも、など意外と発見があります。
でもまあこんなことをしているので、普段ならば15分~20分で着くはずの道を40分かけて歩いた日も、ありました。「無駄」です。
というわけで、私の生活に欠かせない「無駄」を三つほど紹介しました。
冒頭から「無駄」「無駄」連呼しておりますが、私にとってこの「無駄」たちは「無駄」ではありません。コストパフォーマンスやらタイムパフォーマンスやらが重視されすぎた現代社会の中で、自分を休めることが出来る時間は、世間的には「無駄」だと思われそうなこの時間しかないのです。たしかに、効率も時間も大切です。ただ、たまにはゆっくり、ほら、動画を見るときも二倍速にしないで、文章を読むときも読み飛ばさないで、ちょっと深めの椅子に腰かけて、過ごす時間があってもいいのではないかと私は思います。
ぜひ、「無駄」を実践してみてください!
国文学科 二年 ペンネーム はる