魔法のような
「魔法のような」
ペンネーム ゆめ
朝起きた時の、「いよいよだ」と心が踊るような気持ち半分、「終わってしまうんだ」と寂しい気持ち半分。そして、この二つの気持ちを超過するほどの緊張感。演劇部に所属していた中高生の頃と、趣味の範囲で演劇を続けている今。本番当日の朝に抱える気持ちは変わらない。
人前に立って話すことが苦手な私が、演劇をここまで続けてこられている理由は、やっぱり「楽しい」という気持ちが大きいからだろう。役をいただいた時の、「このキャラクターに自分が命を吹き込むのか」とわくわくする瞬間。台本を読んで台詞を頭に入れていき、そこに動きを足して稽古に臨み、演出家や共演者と話し合いを重ねながら、キャラクターの解像度を上げていく時間。本番が近づいてきて、少しだけピリピリとしながらも、今まで以上に気合いの入る稽古場。劇場での場当たり、ゲネプロ。幕が上がってキャラクターを演じきり、幕が降りていく瞬間。決して楽なものでは無いけれど、これら全てひっくるめて、とにかく楽しいのだ。
舞台の上では、魔法をかけられたんじゃないのかと疑ってしまうくらい、自分が無敵になったような気持ちになる。稽古場で積み重ねてきたものをそのまま披露しているだけなのに、何もかもが違う。台本に書かれていた台詞は「言葉」として発せられ、ダンスの振り付けのように覚えた動きはキャラクターの「行動」となる。稽古場とはまた違った心持ちとなっていることが自分でもわかるくらい、ゲネプロの時点で高揚を感じるのだ。お客さんが入って本番を迎えた時、ゲネプロでの高揚感とは比べ物にならないほど、私の心は沸き立つ。いつ、どこでかは忘れてしまったが、「舞台は観客がいて初めて完成する」という言葉を見たことがあるが、まさにその通りだと思う。ギャグシーンで笑いが起きた時等、お客さんから何か反応があった時、舞台袖ではガッツポーズや静かなハイタッチが巻き起こる。お客さんから反応や拍手があった時、これまでの全てが報われたような気持ちになり、演劇を続けていて良かった、また誰かを楽しませられるような劇を作りたい、と強く感じるのだ。
これを書いている今こそ、本番当日の朝だ。心臓は煩く鳴いているが、来てくれるお客さんに世界一楽しい時間を届けてみせよう。