海外研修のメリットとは?
文学部 英文学科
准教授 稲垣伸一
「異文化理解」や「異文化体験」ということばをよく耳にするようになったのはここ10年くらいのことでしょうか。
それにともない多くの大学が海外研修プログラムを持つようになり、実践女子大学でも多彩で充実したプログラムを持っています。
しかし「異文化理解とはどういうことで、どんな意義があるの?」と改めて問われると、答えは人によって様々なのではないかと思います。異文化を体験したり理解するということの最大の意義は、自分の常識(あるいは思い込み)を打ち破ってくれることではないか、と私は思っています。
大学時代、私の友人に日本の家庭ではどこでも日曜の朝食でお酒が出るものと思いこんでいた人がいました。彼の家では長年その習慣で暮らしていたからです。大学に入学後、友達が土曜の晩に彼の家に泊まり日曜の朝になると食卓に並ぶお酒とおつまみに驚く様子を見て初めて、自分の常識が他人にとっての常識でないことを知ったのでした。こう考えてみると、日本全国から(あるいは海外から)様々な環境で育った学生が集まってくる大学は、国内でも立派な異文化体験ができる場なのですね。
日本国内でも大学など新しい環境に入ったときにはこうした(プチ)異文化体験ができるのですから、初めての土地で大学に通い、ホストファミリーと過ごす海外研修は、自分の常識が覆される出来事の連続なのではないでしょうか。私は2006年夏にカナダ?フレーザーバレー大学での研修に引率として参加しました。さよならパーティーで、あるホストファミリーのお父さんは、世話をした実践の学生から「カナダ料理」を食べたいと言われて困ったと笑いながら話してくれました。
世界各地の様々な民族から成るカナダでは、日本におけるすしや天ぷらのようにある一定のイメージを持つ独特の食べ物はないので、カナダ料理といわれてもある意味では中国料理もイタリア料理も、そしてハンバーガーもカナダ料理とも言えるし、カナダ料理と呼べるものはないとも言えるわけです。このお父さんのことばを聞いた学生は、多民族国家や多文化主義を掲げる国とはなるほどそういうものかと、ちょっとした食卓での会話から納得できたはずです。
海外研修で初めてその国に行く参加者は、不自由な外国語で言いたいことを伝える難しさを感じるだけでなく、自分の常識が相手の常識とは限らないことをおそらく研修中何度も体験するのだろうと思います。そしてその意義はただ異文化を理解できたということだけではなく、帰国後例えば卒業論文を書くときなど、自分の常識は他人の常識とは限らないというあの経験が、自分の言いたいことを説得力を持って論じるために非常に役に立つと思うのです。
また、世界にはいろいろな考え方や価値観があることを知れば、自然に他人の意見に耳を傾ける姿勢も身に付くのではないかと思います。海外研修のこのような意義は、目に見える利益には直接結びつかないかもしれません。しかし参加した人のその後の人生をきっと豊かにしてくれることでしょう。研修を終えカナダから実践女子大学の学生たちが帰国する朝、見送りに来てくれたホストファミリーの方々はそれぞれ研修中世話をした学生と別れを惜しんでいました。
あるお父さんは学生と抱き合い涙を流していました。卒業式の時など涙を流して別れを惜しむのは日本人だけと思い込んでいた私は、涙を流すカナダ人のお父さんを見てまた新たな異文化体験をしたのでした。