国文学科特別講演会の感想(学生より)
グレゴリー?ケズナジャットさんの講演「なぜ第二言語で書くのか?」を聞いて
萩原まりあ (国文学科4年生)
まず、ケズナジャットさんの話を聞いて印象に残った話が二つあった。
一つ目は、日本語=日本人という結び付きが未だに強く、外国人が第二言語として日本語を選択して小説を書くと、「なぜ第二言語として日本語を選択して書いたのか」という質問が必ずあるということに、疑問を抱いているという話である。
ケズナジャットさんの講演や小説を見た際に、日本語で伝えたいことを伝えられる力があることに驚き、日本人として誇らしい気持ちになったが、この気持ちこそが日本語=日本人という意識の強さを表しているのだと実感した。
私自身、国際発信実習という授業を通して、日本人と外国人が共生するには、お互いの文化を紹介し合う文化交流では古く、互いの知恵を持ち合って住みやすい環境を共に作り上げるプログラムを行うべきだという考えを抱くようになり、日本人だけが日本の文化にこだわり続ける必要はないと考えていたつもりであったが、自分の中でまだ古い考えがあることに気づかされた。外国人をゲストとしてではなく、共生する者として関わることで、幅広く日本文学に関わる外国人が増え、「開墾地」のような興味深い小説に出会うことができるのだと感じた。
二つ目は、ケズナジャットさんが「開墾地」で最初に書いたのが、主人公の父が電話をする場面だったという話が印象に残っている。父が話している言葉を聞いた時に、言葉と言葉の区切りを探してもどこか分からず、言葉がどこから始まってどこで終わるのか、それらの不思議な音をどのように意味に切り替えているのかが分からないと主人公が感じていた。ここで、主人公は父親の話している言葉に対してマイナスの感情を抱いていないという点に注目した。
私は趣味で韓国のドラマを見ているが、2018年に初めてドラマを見た際、主人公と同様に歌詞の分からない曲のように感じた。当時は、韓国語の挨拶しか理解できなかったため、韓国語が話せる人が不思議で、音をどのように意味に切り替えているのか疑問を抱いていた。
それから5年経ち、現在は字幕を見なくてもほとんど韓国語を理解することができるようになったが、自分の経験を通して、初めて韓国語に触れた際、「綺麗な音だ」「なんて言っているのか知りたい」というプラスの感情を抱いた事が、言語習得に繋がったのではないかと感じた。
このように、初めて第二言語に触れた時に抱いた感情や、第二言語に対する意識的な問題に対するケズナジャットさんの話を聞き、視野を広く持って様々な物事を新鮮な視点で捉えていきたいと感じた。