欧米女子教育視察と一般女子教育への想い
1893(明治26)年、下田歌子は明治天皇の皇女ご教育係の内命を受け、そのために欧米諸国における先進的な女子教育の状況を視察するため、欧州7カ国(イギリス、フランスドイツ、イタリア、オーストリア、ベルギー、スウェーデン)とアメリカに留学します。2年間にわたって、各国の上流階級のみならず、諸階級の女子学校教育、家庭教育のありかたをつぶさに見学しました。中でもイギリスでは、E.A.ゴルドン夫人の協力のもと、皇女教育の実際と、より広範な女子教育制度、学校のあり方を学びました。
また、イギリスではバッキンガム宮殿にて、ヴィクトリア女王への謁見を果たしました。このとき、歌子が日本古来の礼装である袿袴を着用したことは、女王のみならず当時の英国社会の人々に賞賛されました。
この欧米女子教育視察によって、歌子は自身の女子教育理念の基礎となる、多くの知見を得ます。日本の国家?社会を豊かにするためには上流階級のみならず一般階級?下層階級の女子に対する教育も必要であること。先進諸国の学校教育では、幅広い教養教育と併せて、例えば自然科学や家政学など最新の実践的学問も重視されていること。女子教育における体育の重要性。女子と男子が同じ内容の教育を受けることなど。
こうした知識と経験により、歌子は日本における一般女子教育の必要性と、それを実現するための民間女学校創設への想いを強く抱くに到り、これこそが実践女子学園を創設するにあたっての建学の精神となったのです。
1896(明治29)年、帰国した歌子は両内親王御用掛を拝命し、その教育にあたります。教育の方針は、体育?徳育?知育の3つの柱によるものでした。教育を受けた両内親王は、華族女学校(学習院女学部)の卒業生らと同様、歌子を敬慕し、長く晩年まで師と仰いだと言われています。