「当たり前」と思っていたこと
ペンネーム:ゆめ
小規模校を売りにしている我が校が、他校と統合して無くなる。それを知らされたのは二年前、高校三年生の秋のことだ。受験を控えて何となくピリピリとした教室でお昼ご飯を食べていた時、校内放送であっさりと告げられた。当時の私は大いに驚いた。そんなドラマでしか見たことがないような話がここで起こるのか。驚くばかりで、寂しいという感情が湧いてくることはなかった。
あの日から二年。今になってようやく実感が湧いてきたような気がするのは、先日母校の文化祭に足を運んだからだろうか。駅から結構離れた場所にある母校は、創立からあまり時間が経っていないにもかかわらず、年季が入っているように見えた。
私の母校。校門を抜けると同時に目の前に広がる、長いうえに急な坂道。入学当初のみならず、オープンスクールの時点でも迷子になった複雑な造りの校舎。ネットワークの回線速度はいつだって遅い。思い返してみれば散々な特徴だらけの母校だが、それでも私にとっては愛おしくてたまらない存在だったのだと、今になって気づいた。
文化祭に訪れた一番の目的は、後輩たちが創り上げた劇を観るため。私の高校生活の思い出の大部分を占める母校の演劇部も、統合すれば自然と廃部になってしまうのだ。そう考えると、言葉にできないほど寂しくてたまらなくなった。どうして無くなるのがここなのだろう?様々な面で少しだけ不便だから?小規模校で生徒数が少ないから?不便なのはここだけじゃないはずなのに。アットホームな空間を求める生徒だっているのに。どうしてここが無くならないといけないのか。友人と文化祭の雰囲気を楽しみながら、心の中で何度もそう考えた。
私が大学を卒業した後も当たり前に残っていて、近くを通りかかった時に長い坂道や少しだけ年季の入った校舎を見て、懐かしい気持ちになるのかな……統合を告げられる前まではそんな未来を思い描いていた。しかし、当たり前に存在すると思っていたそれは永久に訪れることが無い。
学校だけじゃない。今、私たちの身の回りに、当たり前に存在している人や物。それらは果たして一年後も在るのだろうか。別れなければならない日は突然やって来るかもしれない。その日まで、今という瞬間を大切に生きるべきだ。母校が無くなることを実感した今、そう感じる。