懐かしいあの頃へ旅するシリーズ No.4
常磐祭へたいむとらべる 実践女子学園 中学校高等学校の学園祭
1952(昭和27)年に記念すべき第1回が行われた「ときわ祭」。
この学園祭には実践中高ならではの受け継がれているイベントが数々あります。
歴史を重んじながらも、常に来場者に楽しさを提供する努力を怠らない生徒たちは「ときわ祭」を経験することで輝きを増し、成長するのでした。
日頃の成果を皆さまに
「ときわ祭」を作り上げた生徒たちの思い出
1995年に実行委員で広報係を担当しました。係ごとに腕章を手作りして着けていたことを懐かしく思い出します。準備の苦労は尽きませんでしたが、無事ときわ祭当日を迎え、つつがなく終了した時の達成感も忘れられません。
1995年度実行委員
私が実践の生徒だった45年ほど前、校庭でフォークダンスを踊ったことが楽しい思い出として残っています。当時からときわ祭は生徒の自主的な活動として運営されていましたが、展示などについては先生方のチェックをしっかりと受け、ご指導をいただいた記憶があります。
卒業生?実践女子学園中学校高等学校教諭
生徒たちを見守った先生方の思い
「校友会の発表の場」という側面も持つときわ祭。運動系のクラブは、普段、一般の生徒や多くの方に試合などを観ていただく機会がありませんから、ときわ祭の招待試合などで、日頃の練習の成果を観戦していただくことに大きな意義があると思います。
中学校高等学校教諭
個人的に印象深いのは、何と言ってもダンス部が行うデモンストレーションです。けれど、華やかな表舞台の裏側で、見回りをする実行委員や、ゴミ捨てを行う整美委員など、ときわ祭の成功を支える生徒たちのがんばりにも、いつも感動しています。
中学校高等学校元教諭
ときわ祭の思い出として印象に残っているのは、後夜祭の時、グラウンドでファイアストームに興じたことです。各班が作成した展示物には、生徒たちが一生懸命に調べたことがぎっしりと書き込まれ、国語の先生方が展示物の誤字脱字の点検に駆り出されたものでした。今は文字が少なく写真が多くなったことに、時代の変化と進歩を感じます。
中学校高等学校教諭
以前は力仕事が多く、木製の重い展示板を移動したり、展示に使う教室の机やイスを「机室」と呼ばれる部屋に積み上げ、収納していました。今では展示板がキャスター付の軽量なものとなり、机やイスの移動もなくなったことを少しさみしく感じます。
中学校高等学校教諭