髙瀨 真理子先生
多くの文学作品に触れることは、
他人の人生を追体験すること。
よく学び、読み、客観的視点を養います。
髙瀨 真理子
Mariko TAKASE
日本語コミュニケーション学科
専門分野?専攻 日本近代文学
Mariko TAKASE
日本語コミュニケーション学科
専門分野?専攻 日本近代文学
[プロフィール]実践女子短期大学国文科および実践女子大学文学部国文学科卒、実践女子大学大学院文学研究科修士課程(国文学専攻)修了。1992年実践女子短期大学に着任。2013年より実践女子大学短期大学部にて現職。
長年の研究対象?室生犀星と私をつなぐのは、未知の土地で抱いた疎外感
人生は、思ってもみない「不条理」の連続。優れた文学は、山あり谷ありの人生の良き伴走者でもあります。私が人生の「不条理」をはじめて思い知ったのは、父親の転勤によって、故郷の長崎から金沢へ転校を余儀なくされた高校2年生のときでした。
温暖な九州の港町から、寒さ厳しい北陸の城下町へ。その風土の違いに受けたカルチャーショックと疎外感……まるで昨日のことのように思い出します。そんな私の心の拠り所は、合唱部での活動でした。合唱曲「犀川」や部歌の中間部に室生犀星の詩の一節「あんずよ花着け」が引用されており、室生犀星が、「金沢三文豪」のひとりであると知ったことからはじまりました。
父の転勤が続くことから上京を決意し、実践女子短期大学の国文科に進学。芥川龍之介を研究するゼミに所属し、みっちり鍛えられました。日本近代文学の面白さに目覚めた私は、実践女子大学の国文学科へ編入学を決意。大学での研究対象をどうやって選ぶべきか、恩師に相談すると、「作家の生まれ育った風土が理解できるところにしなさい。」とアドバイスを受けました。
そこで頭に浮かんだのが室生犀星の存在。同じ金沢三文豪で浅野川と縁のある泉鏡花や徳田秋聲よりも、犀川周辺で育った犀星が私の金沢体験に近かったことが決め手です。
右も左も分からない金沢の地で、思春期の自分が抱いた、まるで異邦人になってしまったかのような感覚。犀星の作品に漂う疎外感、アウトロー的なスタンスへの共感があったからこそ、彼を研究対象に選んだのだと思います。
特に着目したのが、犀星と親しかった芥川龍之介と萩原朔太郎との関係。私が大学で学んでいた80年代には、犀星が芥川を崇拝していたという解釈が一般的でした。しかし芥川も、知人にあてた手紙で犀星の名を何度も挙げています。東京帝国大学卒のエリートであった芥川もまた、無頼で野性味あふれる犀星に憧れを持ったのです。二人は互いに認め合う対等の関係だったのではという気づきが私の目を開きました。
芥川亡き後の日本文学を支え、「ポスト芥川」の行きつく先を担ったのは、他でもない室生犀星なのではないでしょうか。それが研究上、現在考えている結論。このことは、2016年に映画化された「蜜のあはれ」のパンフレットに寄稿した解説にも書かせていただきました。
女子大で女性文学を取り上げる意義。円地文子の作品に見る「明治?大正?昭和」という時代
大学卒業後はそのまま大学院に進み、犀星の研究を続けました。その間に出産もし、「修士論文は乳飲み子を抱えながら書きました」というのが今でも私の決め台詞です(笑)。
実践女子短期大学に着任したのは、修士課程修了後の1992年。中学や高校、学習塾で朝から晩まで国語を教える生活を送っていたので、本格的な研究の現場に戻れることがとても嬉しかったですね。
文学を教えていく中で感じていたのは、「古き日本文化」が失われつつあること。マンションにしか住んだことがない学生も多く、戦前?戦後の文学作品に登場する「縁側」や「鏡台」がどんな意味を持つのかイメージできないんです。
また、女子大に着任したからには、女性文学を扱いたい思いもありました。消えゆく古き日本の生活と、男女や夫婦、女性というものや家族、老いといった普遍的なテーマを女性の視点から描く作家と言えば円地文子。彼女の著作の研究も私が着任以来取り組んでいるテーマです。
彼女の初期代表作に「ひもじい月日」があります。戦後すぐ、家庭の主婦である主人公は、「中古のガス風呂」を思い切って購入します。この描写からまず読み取れるのは、舞台が東京だということ。当時、地方に「ガス風呂」はまだ普及していませんから。
東京でも戦後になるまでガスの供給は不安定であり、ガス風呂は高価でした。多くの人が銭湯に通う時代に、なぜ彼女は貧しいにも関わらず、わざわざ自宅に風呂を入れたのでしょうか? 作品を読み進んでいくうちに、この三畳二間と「ガス風呂」から彼女と家族の「ひもじい月日」の経緯と機微が分かっていきます。
このように、あるキーワードから作品舞台や当時の世相が分かるのも、近代文学を読み解く面白さのひとつ。円地には古典文学から近代文学に至るまでの豊かな素養があり、作品の社会性の高さには驚かされます。個人的には、男性作家で言うと、三島由紀夫と双璧を成す実力を持った作家だと考えています。
50年代からようやく文壇で評価されるようになった彼女をいち早く認めていたのが室生犀星。犀星が朔太郎の離婚に絡んで嫌っていた宇野千代も興味深いですよ。
文学の奥深さを味わうことは、マニュアル化できない人生の助けとなる
現在、私が受け持っているゼミのタイトルは「日本近現代文学研究」。学生たちは自由にテーマを設定して小説や記事を執筆し、その集大成として、1冊の本や雑誌を発行します。雑誌作りにおいては、企画から取材、インタビュー、撮影、誌面レイアウトや校正に至る一連の流れを経験するので、出版系の仕事に興味がある学生にも人気のあるゼミです。
2018年度には、前年に亡くなったブルドックソース会長の池田章子さんの追悼企画にも取り組みました。池田さんは実践女子短期大学の国文科出身。64年に入社し、生え抜き社員として社長?会長に就任した数少ない女性のひとりです。文学の素養も深く、社内報の執筆や編集作業を自ら手掛けていた時期もあるそうです。
彼女の功績をまとめるのは、後輩である私たちがやるべきこと。池田さんと同じく山形出身の学生に帰省時の調査をお願いしたところ、幸運なことに、ご家族とのつながりができました。生前のインタビュー記事などの資料も集まりつつあるので、2019年度のゼミでも引き続きこの追悼企画に取り組んでいこうと考えています。
冒頭でもお話したように、文学は、長い人生の良き伴走者。人生は1回きりですが、人は読書を通して、多くの人生を追体験できます。
よく学生に話すのが、イギリス研修での経験。相手が英語で言っている内容は理解できるし、それに対して言いたいこともある。なのに、絶妙な間を逃して複数人の会話から取り残されてしまうことが何度もありました。そのとき思い出したのが、三島由紀夫の「金閣寺」。主人公は吃音であり、肝心なときに発言のタイミングを逃してしまうことを「外界への扉の鍵が開かない」と表現しました。「外界」では置いてけぼりのまま「内界」の自意識ばかりが肥え太っていくのです。
まるで「金閣寺」みたいだ——そう思えたことで、異国の地でも落ち込まずに済みました。自分の体験と似た出来事は、世の中に多くあるのだという客観的な視点を身につけられるのも、文学を読む価値のひとつ。これからあなたたちが知っていく文学の奥深さは、マニュアル化できない人生の助けとなってくれるでしょう。
2年間の凝縮したカリキュラムにしっかりと取り組み、成長して社会に羽ばたいていくもよし。大学に編入学し、さらに学びを深めるもよし。未来へ向かうためのファーストステージとして、短期大学部を使ってくれたら嬉しいですね。本当にやりたいことは何なのか、自分らしく生きていくための道標を見つけ出し、つかみ取れる場所であってほしいと思っています。