西脇 智子先生
あなたは「点字の世界」を知っていますか?
伝える?伝わる?伝えあう、
非言語コミュニケーションについて考えます。
西脇 智子
Tomoko NISHIWAKI
日本語コミュニケーション学科
専門分野?専攻 社会福祉学?保健医療社会学
Tomoko NISHIWAKI
日本語コミュニケーション学科
専門分野?専攻 社会福祉学?保健医療社会学
[プロフィール]東京家政学院大学家政学部家政学科卒、東洋大学大学院社会学研究科博士前期課程(社会福祉学専攻)修了。2000年実践女子短期大学に着任。
時代と共に変わり続けた健康と福祉のあり方。40代から社会福祉学の道へ
2019年度から、短期大学部で「点字の世界」という授業を担当します。長いこと公衆衛生学に携わってきた私が、なぜ社会福祉学を専門分野にし、「点字の世界」に魅せられるようになったのか。振り返ると、自分を取り巻く時代や状況の変化に合わせて新しい扉を開き続けたことで、今の私がいるのではないかと感じます。
そうは言っても、公衆衛生学と社会福祉学は地続きの学問。公衆衛生学はその名の通り、「公衆」=多くの人々の集まりに対し、疾病予防や健康維持のためのアプローチを行います。大学での4年間とその後の研究員時代に在籍していたのは、児童生徒に健康指導を行う学校保健の研究室。思春期を迎えた女子中高生の皮下脂肪厚を計測し続けていました。
児童から大人の女性へと成長する、その数年間の身体の変化を見つめることで、区切られた数年間だけではなく、人間の一生における身体機能やライフステージの変化に興味を持つように。今では想像しにくいことですが、私が研究生をしていた80年代までは、「健康」とは、病気も怪我もしていない「パーフェクトな状態」だという考え方が主流でした。階段の上り下りが難しい高齢者も、車椅子で生活している人も、すべての人が、自分なりに「健康」に過ごせるようにサポートする。そのような「ヘルスプロモーション」の概念が生まれたのは90年代になってから。それまで、高齢者や障害者の生活支援のあり方は、「福祉」の領域を中心に取り組まれていたのです。日本における「健康」そして「福祉」のあり方が変わっていく中で、40代を迎えた私が大学院に入学し、社会福祉学専攻の博士課程前期に挑戦したのは自然な流れでした。
大学院修了後、いくつかの非常勤講師を経験し、実践女子短期大学に着任したのは2000年。当時、新設されたばかりの生活福祉学科で、研究テーマに掲げたのは「共用品」でした。
皆さんは、シャンプーの容器にギザギザがついている理由を知っていますか? 答えは、目をつぶっていても容器を触っただけでシャンプーだと分かるようにするため。こうした「共用品」のアイデアは、実は日本から発信したものなのです。今では「アクセシブルデザイン(すべての人にとってアクセスしやすいデザイン)」と呼ばれ、世界中で普及活動が行われています。
共用品について研究を進めていくうちに、アルコール飲料が入った瓶や缶には、点字で「お酒」と書かれていることを知りました。共用品は、私を「点字の世界」に導いてくれました。
運命的なタイミングで帰館した戦時中の点字図書。また、新たな研究へ
共用品と平行して研究を行っていたのがバリアフリー絵本。学生と一緒に、触って楽しめる布の絵本の制作も手掛けました。
触って知る、読む、楽しむ。さわる絵本の奥深さを知っていく中で、また一歩、点字の世界に近づくきっかけになったのが、日本初の盲学校として明治初期に開校した京都府立盲学校への訪問です。現在、全国の駅や公園などの公共施設で、手で触って読み取る地図「触地図」の設置が進められていますが、京都府立盲学校には、明治12年に作られた凸形京町図が保管されているのです。桜の木の板を4枚つなげた大きな触地図を実際に見て、触って、深い感銘を受けました。
当時の京都の街を案内した触地図は、見えない人が触って理解できるだけでなく、私が目で見ても分かりやすいように工夫されていました。見えない人にとっても、見える人にとっても、同じように分かりやすい。それはまさに、アクセシブルデザインの考え方。明治時代の日本に、現代にも通じる先進的な考え方があったことに驚いた私は、この時期から、東京の高田馬場にある「日本点字図書館」に研究活動の拠点を移すようになります。
日本点字図書館では、点字図書や録音図書の他に、視覚障害者の生活を助けるさまざまな用具も取り扱っています。こうした用具は、共用品の成り立ちにも大きく関わるもの。日本点字図書館に通いはじめた当初は、用具の研究が主な目的でした。
実践女子短期大学に着任して12年目、生活福祉学科は廃部に。私は、日本語コミュニケーション学科に転属することになりました。これを機に、日本点字図書館の蔵書、特に文学作品の点字図書についての調査を開始した。ある日、学科の特色に沿った新たな研究の方向性に迷う私の背中を押す出来事が起こりました。日本点字図書館の創立者である本間一夫先生のご実家から、戦時中に「疎開」していた大量の点字図書が発見されたと言うのです。
70年の時を経て帰館した蔵書を前に、運命のようなものを感じました。当時の図書館長から「一緒に見てくれませんか?」と依頼を受け、その後、戦時中から戦後の図書館再建までの草創期に、本間先生が集められた点字図書の調査を行っています。
出会いは、新しい世界への扉。幸福な「学び」を通じて大きく成長してほしい
日本点字図書館の創立は1940年。前身の図書館は空襲で焼けましたが、2300冊もの蔵書は、本間先生と共に疎開していたため難を逃れました。疎開先の茨城から実家のある北海道へ、再疎開するまでの一年間で蔵書は3000冊まで増えたことが分かっています。これらの多くは寄贈されたもの。点字出版社から発行された「点字出版書」もありましたがボランティアの点訳(文字を点字に翻訳すること)による「点訳寄贈書」がほとんどを占めていました。
終戦後の2年間は、北海道から貸出を行っていた本間先生。1948年、高田馬場に日本点字図書館が再建された際、蔵書の中でも戦時色の強いものなどを実家に残してきたことが後に判明しました。帰館した蔵書の中には、寄贈書の点訳者名簿という貴重な資料も。いつ、誰がどの作品を点訳寄贈したのか。これから照合していく予定です。
点訳者の多くは女性でしたが、中には理由があって戦地に赴けなかった男性もいました。彼ら、彼女らは自分自身で「これぞ」という作品を選び、根気とスキルを要する点訳に取り組んだのです。当時の点訳寄贈書のリストをまとめ、日本語コミュニケーション学科の先生に見てもらったところ、「質の高い文学作品が選書されている」とのお墨つきを頂戴したことは望外の喜びでした。
視覚障害者の方に良い作品を読んでほしいと願う点訳者と、読書によって心を豊かにする視覚障害者。そして、双方をつなげる本間先生。三者の密接な関係と、厳しい時代に継続されていた貸出活動に思いを馳せるたび、胸が熱くなるのを感じます。
これから新たに受け持つ授業「点字の世界」は私の集大成。点字に加え、絵文字やアイコン、ジェスチャーといった「ノンバーバルコミュニケーション(非言語コミュニケーション)」についても、学生たちと一緒に考えていきたいですね。
薄皮を一枚一枚剥いでいくように、試行錯誤を繰り返して真実に近づいていく。それが研究の醍醐味です。分からないことや知りたいことに出会い、興味を深めていく過程で、新しい世界への扉が目の前に次々と現れる——そのような幸福な「学び」を、短期大学部での2年間で体験してください。
この学園には、120年の伝統と充実したカリキュラムがあります。あなたを取り巻く環境のすべてをプラスにして、大きく成長してほしいと願っています。