古典に触れよう④「辛いときにどう生きるか」
どんなに辛く悲しくても、自棄になって出家なぞしてはいけないよ、静かに引きこもって生きるんだよ。そういう生き方もあるね。兼好は『徒然草』第5段でこう説く。
肉親や恋人の死に遭う、あるいは出世の道が閉ざされた時に、当時の人は出家して悲苦を乗り越えようとした。兼好はそれに異を唱えた。智恵豊かな常識人であった彼は同時に、常識を超える自在の人であった。
兼好の頭の片隅に鴨長明の生きざまがよぎっていたことは疑いない。父親の死により人生が大きく狂い、一族の妨げで神官となれなかった長明は絶望の余り、逐電遁去した。その後のことを『方丈記』に記す。しかし皮肉なことに、出家により名作が誕生したことも事実である。
兼好はこの皮肉な結果を決して評価しない。長明自ら清浄な庵にいながら心は汚れていると独白するように、激情のほとばしりが正しい選択とはならないのである。
ではどうするか。世間の隣に居て静かに心を養う。中国伝来の市中隠遁こそ最上の生き方となる。悲喜あれど激しない-近代の作家広津和郎の散文精神に通う、その先輩の生き方指南である。