著者は語る 『男女平等は進化したか 男女共同参画基本計画の策定、施策の監視から』(新曜社) をどう読むか
鹿嶋先生とご著書について
鹿嶋敬先生は、2005年に実践女子大学人間社会学部の教授に就任され、2015年3月31日をもって退職され、
一般財団法人女性労働協会の会長兼専務理事に就任されました。
本書は、「ゴールは男女共同参画社会」という持論をお持ちの先生の個人的な体験をベースに男女平等の
進化論を展開したものです。
今回は、先生が学生の皆さんに強くお伝えしたいことを中心に語っていただきました。
なお、本書の紹介と当館所蔵情報を当ページ末に置きましたのでご参考にどうぞ。
学生の皆さんに問う 男女平等社会は本当に到来したのか?
実践女子大学の人間社会学部では教授として10年間教鞭を取りましたが、その前の職業は新聞記者でした。日本経済新聞東京本社で編集委員や論説委員、編集局次長や生活家庭部、文化部の部長などを務め、一貫して1985年制定の男女雇用機会均等法(施行は1986年)をベースに置いた女性労働問題を取材してきました。
実践女子大学に来てからは政府の男女共同参画行政にかかわり、政府の重要政策会議の一つ、男女共同参画会議(閣僚12人、民間有識者議員12人で構成。議長は官房長官)議員を2017年3月末まで6期12年、その他、政府の男女共同参画施策を監視する監視専門調査会会長、男女共同参画基本計画策定の専門調査会会長などを歴任しました。そして今は、一般財団法人女性労働協会会長としてファミリー?サポート事業や政府の女性活躍関連施策の推進事業に取り組んでいます。
このように私はほぼ半世紀にわたって男女平等に関する問題と対峙してきたわけですが、そんな社会が本当に到来したのだろうかという自問自答を常に抱えていました。それに何らかの答えを出したい、というのが、『男女平等は進化したか』を執筆するに至った動機です。それで、どうだったの?と関心がある人は、是非、拙著を読み、今、どういう状況になっているのか自分で考えて頂きたい。でも、少しヒントのようなものは出しておきましょう。
固定的な性別役割観の根強さは払拭されたか?
それは、日本は男女平等社会に到達するまでに幾つかの壁が立ちふさがっていることです。一例として、固定的な性別役割観の根強さを挙げたいと思います。「男は仕事、女は家庭」という固定的な性別役割観念が、特に男性に強く染みついている。そしてそれは再生産される、すなわち世代が代わってもそれが受け入れられ、継続されてきたのです。
不況で月収が逼迫すると子どもを大学に進学させるにあたって、男の子優先の家庭が増えることなどは、その一例でしょう。「男子は将来の稼ぎ手だから」という考えが頭のどこかにある親が、無意識にだと思うのですが、男の子優先の教育投資をするからです。私は大学教員時代、「ジェンダー論」が講義科目の一つでしたので、学生と授業でこうした問題を随分議論しました。
女性の性別役割分担の典型例は、家事や育児の担い手だということです。「女ならでは」の優しさで育児の担い手になり、男性は「男ならでは」のたくましさで社会を乗り切る…。こうした考え方が、性別役割を固定化させます。その結果、企業は男子優先の人材採用を行い、かつてゼミ生たちはその不満をだいぶ訴えてきました。今も一部の企業では、それが続いているといっていいでしょう。
私が政府で取り組んで来た男女共同参画の考え方は、「男女は社会の対等な構成員」であり、「自らの意思」で社会の活動に参画することを基本とします。ちなみに「参画」は「参加」よりも積極的に平等推進にあたるという概念です。「平等」という言葉を使わないのは、男女雇用機会均等法の制定当時、平等概念には例えば採用であれば一定数の女性の採用を義務付けられる「結果の平等」概念が入っていると経済界の一部やその意向を受けた政治家が反対したためです。というわけで、雇用平等法と言わずに男女雇用機会均等法、男女平等参画ではなく男女共同参画となっているのです。
その他にも企業の長時間労働、性別役割分担を色濃く残した税制?社会保障制度問題等、男女共同参画社会の形成を阻む要因はたくさんあります。学生諸君にも保守化傾向がうかがわれ、男女を問わず性別役割分担の支持者が少なくないことも指摘しておきます。ただ、皆さんの今の立場はどうであれ、是非、『男女平等は進化したか』に目を通し、現状を分析し、問題をどう克服していけばいいのかを考えてください。皆さんが充実したキャンパス生活を送り、将来、女性として自立した人生を送りたいのであれば、このような考察が欠かせません。
書名: 男女平等は進化したか : 男女共同参画基本計画の策定、施策の監視から |
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