こんにちは。学生記者の開原莉乃(文学部英文学科4年)です。
今回は7月23日(土)に東京都新宿区の新国立競技場で開催された東京2020オリンピック?パラリンピック1周年記念イベントについて、参加体験記をお届けします。
私にとり、同イベントは、昨年参加した大会ボランティアの活動も合わせて東京大会の意義を振り返る格別な機会となりました。世界に感動を届けた東京大会に携われたことを今も誇りに思います。
「東京2020大会1周年記念イベント~TOKYO FORWARD~」は、大会組織委員会と東京都が主催した記念式典です。イベントを指揮するMC(マスター?オブ?セレモニー)に松岡修造さんと平井理央さんを迎え、大会で活躍したアスリートや吉田沙保里さん、丸山桂里奈さんらが応援リーダーを務めました。
本学は、大会連携事業に貢献した大学として早稲田大学、上智大学とともに、同イベントに招待されました。2014年から連携事業を進めてきた文学部国文学科の深澤晶久教授のほか、関連事業や大会ボランティアに携わった在学生や卒業生ら約30人が参加、イベントの盛り上げに一役買いました。
高まる期待-集合
午後3時すぎ、蒸し暑い天候の中、本学の参加者は新国立競技場の青山門に集合しました。そこには、旧知の顔がちらほら。これまでの活動で知り合った在校生や先輩たちです。中には私が1年生だった頃の4年生もおり、本学が取り組んだオリパラ関連事業の歴史を感じました。
座席指定のチケットを受け取ると、皆でそろいのTシャツに着替えて本番に備えます。2019年に大学のプロジェクトで制作したオリジナルTシャツであり、思わず記念写真をパシャリ。チームの一体感がいやおうなしに高まります。
関係者入り口から競技場内へ入り、控室に移動。セレモニー開始まで待機することになりました。大学連携チームの早稲田大学と上智大学の学生も一緒でした。とはいえ他大学の取り組みを詳しくは知らず、こちらから声を掛けるのは、ためらわれました。先方も声を掛けてはきませんでした。お互い緊張していたのだと思います。これから始まるパレードへの期待感が高まります。
トラックから見た景色を忘れない-開会
午後5時、セレモニーが開幕。入場パレード、観客とアスリートの交流イベント、アーティストによるライブパフォーマンスと続きました。このうち、入場パレードは、アスリートをはじめ、大会ボランティアや聖火ランナーらがマーチングバンドの生演奏に合わせて徒歩で行進、新国立競技場のトラックを1周しました。
本学は、日本代表選手団に続いて2番目に入場。1周年記念のロゴが入った旗を持ちながら、観客席に向かって手を振り続けました。行進中、本学OGの五十嵐千晶さん(2017年文学部美学美術史学科卒)が、MC陣からインタビューを受ける場面もあり、「大学4年間で深澤先生と共に、大学生に何が出来るかということを考えてきた。大会開幕の一年後に、こうして新国立競技場を歩くことができて感無量です」と、答えていました。
私も五十嵐さんと思いは同じでした。1年前、自宅のテレビから見ていたのは、無観客で行われた新国立競技場の開会式でした。それが1年後、画面を通して見ていた会場に自分が立っている。なんとも不思議な気持ちでした。トラックから見上げる競技場の景色は感動的で、観客席からトラックを見下ろす普段の景色とは、まるで違ったものでした。「一生忘れたくない光景」。そんな感動が私を満たしていました。
脳裏に浮かんだ1年前の経験-オリンピック
私が東京オリンピックを振り返り真っ先に頭に浮かぶのは、大会ボランティアの活動です。昨年の今頃、私は東京?代々木の東京体育館で、男子卓球の準決勝の対戦を会場の片隅から見つめていました。というのも、視聴覚障害者向けのアプリで試合実況をテキスト配信する大会ボランティアを務めていたからです。会場で試合を直接見ることができるという特別感は格別でした。しかし、そんな私の高揚感とは無縁なところで、会場内は国際大会ならではの緊張感が張り詰め、ピリッとした空気感に気が引き締まったことを覚えています。
実際、生で見る卓球の試合はテレビで見るのとでは大きく異なっていました。例えば、目で追えないほどの速さで続く高速ラリー、相手を視線の先に捉えて離さない選手の集中力、物音ひとつ許さない静まり返った会場に響く選手の息遣い……。それらすべてに引き込まれ、気が付けば息をするのも忘れるほど、見入っていました。
トラックを歩いていて、そんな昨年の記憶が次々と脳裏を駆け巡ります。1年前の開会式で入場行進する選手たちの脳裏にも、似たような感慨がよぎったのではないでしょうか。選手たちの緊張感を疑似体験したような感覚がありました。
個々の経験が大会運営を支える-パラリンピック
入場パレード終了後は、観客席に移動して交流イベントです。私たちの座席は日本代表選手団のちょうど真後ろ。車いす選手が見えたことで、1年前のパラリンピックの思い出も蘇ってきました。
私は、パラリンピック期間中の5日間、選手村の就業インターンとして働きました。仕事内容は、送迎バスの発着管理と車椅子の乗降アシスト業務。今思うと、その環境は私にはとても特殊と映りました。なぜなら、パラリンピックに出場する選手の発する様々な国の言葉が飛び交い、異なる文化や習慣が混在する、異空間と化していたからです。実際、業務中は英語や日本語が通じない海外選手を担当することが、もっぱらでした。彼らとの意思疎通には苦労しましたが、ジェスチャーや表情を交えてなんとか会話が成り立った時は、ほっとすると同時に達成感もありました。
加えて、選手村で共に活動したボランティアスタッフとの出会いも思い出深いものがあります。選手たちの通訳として彼らに同行していた日本人ボランティアの中には複数の言語を操るマルチリンガルな方が何人もいて、驚かされました。
中国語で中国選手にバスの発着場の場所を案内していた日本人スタッフも、そんなマルチリンガルの一人でした。私の母親と近い年代の女性スタッフの語学力の見事さに心奪われ、思わず声を掛けたところ、彼女は昔中国の音楽学校に講師として勤めていたことがあるのだと教えてくれました。
パラリンピックの5日間を通して、大会運営は様々な経験を積んだ人々が集まり、彼らの培った力が支えていると実感できました。自分も微力ながら大会運営に貢献できたのか考えさせられた5日間でした。
深澤晶久教授の話
2014年に新設されたキャリア教育科目「国際理解とキャリア形成」を受講された学生の有志が立ち上げスタートしたオリンピックパラリンピックプロジェクト、以来8年間の歳月が流れ、授業とプロジェクトなど、活動に参加してくれた学生は10,000人を超えました。開催の延期や無観客開催など、多くの試練がありましたが、昨年の開催から1年が経った2022年7月23日「東京2020大会一周年記念TOKYO FORWARD」に卒業生から大学2年生までの9世代が集って参加出来たことは、本当に感無量の想いです。
新国立競技場のトラックを歩きながら、沢山の思い出が走馬灯のように駆け巡り、そして、あの景色を忘れることは出来ません。
ここまでこのプロジェクトを支えてくれた多くの学生、そして教職員の皆さんに、改めて感謝の気持ちを伝えたいと思います。
本日は参加出来なかった卒業生や在学生の心に、「東京2020大会」がレガシーとしてしっかり刻まれることを心から祈りたいと思います。
取材メモ
1周年記念イベントを終えて、東京2020大会運営の一部に自分が携われたことを改めて誇りに思います。この思いはまた、時間をかけて準備してきた人がいてこそ大会は成り立つと知った、私自身の成長の証しでもありました。1年の大会延期、コロナ渦による無観客開催……。異例づくめの「コロナ五輪」は、困難な壁をいくつも乗り越え、感動の瞬間を演出してくれました。
そんな1年前は、ちょうど就職活動を始めた頃。漠然とした将来への不安を感じていました。心穏やかではいられない私にとり、オリパラで選手が活躍する姿は、マイナスな気持ちを吹き飛ばし、元気づけてくれるものでした。実践女子大学の先輩方が繋いできた実践オリパラの活動も、1人の頑張りが誰かを勇気づけ、プラスの連鎖を生む。東京2020大会は私にとって、人の繋がりの強さに気付くきっかけとなりました。