アフラック生命保険株式会社 取締役 専務執行役員 木島葉子氏が本学の「女性とキャリア形成」の授業で講演しました(10/28)
なにごとに対しても主体的に取り組むことで
楽しさや、やりがいが見えてくる
2021年度の共通教育科目「女性とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)は、実践女子大学の卒業生を含む企業トップの生き方から学ぶリレー講座です。2021年10月28日の第2回目の登壇者は、アフラック生命保険株式会社取締役 専務執行役員の木島葉子氏。家政学部食物学科卒業の先輩でもある同氏の登場に、学生たちも興味津々の様子でした。
自分のやりたいことに専念した大学4年間
就職は4年制大学の学生を採用してくれる会社を探した
学生たちの大きな拍手で迎えられた木島葉子氏は、「大学の4年間は、自分のやりたいことをやる時間だと考えていました」と講演の口火を切り、学生時代の思い出へと話を続けました。卒業論文のテーマは「高血圧予防に関する主婦の意識及び健康管理状況の調査」だったそうですが、就職に関しては、業種にはこだわらなかったといいます。1986年4月にアフラック生命保険株式会社に入社。2001年に課長に昇進して以降、2012年に執行役員、2020年には取締役専務執行役員に就任するという道のりを歩んできました。
生命保険業界初の女性役員を輩出
アフラック生命保険は歴史的に女性活躍に積極的
「『アフラック生命保険』は日本で初めて『がん保険』を提供した会社です」と説明する木島氏は、同社が1997年に生命保険業界初の女性役員を輩出したことや、1998年には営業の現場に女性支社長が2人誕生したことなどを紹介。アフラック生命保険株式会社が創業当初から女性活用に意欲的であり、2014年に女性活躍推進プログラムを策定して女性活躍推進をさらに加速させるなど、ダイバーシティに積極的に取り組んでいる会社であることを話してくれました。
与えられた仕事を淡々とやっていく毎日に変化
ある上司のおかげで気づきが生まれ、挑戦する楽しさを覚えた
「入社当初の私は、与えられた仕事を淡々とやって帰宅するような社員でした」
最初の転機は3年目に訪れました。
「10人ほどのチームのリーダーを任されるようになったのですが、このときも、目の前の仕事を淡々とやっているだけでした。そんな私を見て、上司の女性は『このままではこの社員はダメになる』と思ったのでしょうね。出張や代理店さん向けの研修会など、何かにつけて私を連れ出してくれたのです。そして、いろいろな仕事をさせていただくなかで、新たな気づきが生まれ、新しいことにチャレンジしていこうという気持ちになりました。この上司はとても厳しい方でしたけれど、この方がいなかったら今の私は絶対になかったと思います」と木島氏は当時を振り返ります。
新しい部署の立ち上げに参画
視野が広がり、仕事の楽しさを覚えた
次の転機は入社から13年目くらいに訪れたそうです。
「一般に言うコールセンターの立ち上げに参画しました。新設部署ですから、これまでの事務職としての経験はあまり活きません。とにかく他社を参考にするため、業界を問わず、さまざまな会社の担当者にお話を聞きました。いろんな意味で、視野が広がりましたね」と木島氏は話します。
当時は、担当者なので判断する権限はありません。
「でも、自分なりに考えて課長に報告をすることに、仕事の楽しさを覚えました。今考えれば、管理職前の研修だったんだと思います」と木島氏。その約2年後、木島氏は課長に昇格しました。
分からないことは素直に人に聞くが鵜呑みにはしない
自分でも必要な情報を集めて判断する
課長になった数年後、木島氏は実務経験がない分野に配属されました。しかし、部下たちは実務経験のない木島氏に、「これで進めていいですか?」など判断を仰いできます。
「でも、私は彼らの言っていることが分からない。解読したとしても、判断ができません。悩みに悩み、原因不明の高熱にも見舞われ、やっとのことで思い至ったのは『分からないことは人に聞く』というごく当たり前のことでした。部下にモノを聞いてはいけないという思い込みがあったんですね。でも、部下のほうがその領域については知識を持っているわけですから、その人に教えてもらって判断をすればいい。でも、それを鵜呑みにはせず、判断するために必要な他の情報を自分でも集めるという行動を意識的にやるようにしました。こうしてやっと、管理職っぽくなっていったように思います。自分自身もこうやっていけばいいんだと思えるようになりました」
東日本大震災での挫折と学びで
自分はまたひと回り大きくなれた
「私がキャリアを語る上で欠かせないのは、2011年3月の東日本大震災です」
当時、木島さんは契約管理事務企画部長を務めていました。
「そういうなかで、私は120万人の契約者に向けたお見舞い文書の作成?発送と、津波などで深刻な被害を受けた地域の契約者20万人の安否確認を任されたのです」
木島氏は、一刻も早くお見舞いの文書を契約者に送りたいと思い、必死に具体策を提案しました。しかし、社長ら経営陣は納得してくれません。何度も何度も突き返されました。理由は「同業他社の対応や金融庁の考え方も示さず、自分の思いだけを綴った文書を提出されても、こちらは判断ができない」ということでした。今考えれば当たり前です、と木島氏は苦笑します。
「そこで私が学んだのは、いかに準備をして、相手の目線で相手が納得するよう対応をすることでした」と木島氏は大きな挫折感とそこから学習した学びを話してくれました。
やったことのない業務に挑戦するしかない状況に追い込まれることは多々あったけれど、結果的にそれがよかった、と木島氏は笑顔を見せます。
「仕事もキャリアも主体的に取り組み、決めたことは自信と責任をもってやり抜くこと。そして、一人でできる仕事はそれほど多くはないので、チームをつくり、仲間と一緒に協力しあって仕事をやり抜いていただきたいと思います」と木島氏は経験を語ってくれました。
仕事仲間の存在が原動力
思い通りにいかなくても探求することで気づきがある
約1時間の講演のあとは、質疑応答の時間です。いろいろな質問のなかで、あるチームの「上り詰められた原動力は何ですか。また、最初から保険会社を目指していたのですか」という問いに、木島氏は次のように答えてくれました。
「人と一緒に仕事をすることに楽しさを感じるタイプなので、チームの仲間と一緒に困難を乗り越えることにやりがいを感じますし、仲間の存在が原動力になっていますね。それから就職活動についてですけれど、私は4年制の女子大学生を採用してくれる企業、正社員として採用してくれる企業を目指しました。そして、入ったアフラック生命のなかで仕事の楽しさややりがいを見つけてきました。ですから、自分の希望とは異なる会社という理由だけで失望しないでください。入ってみれば、いろいろな仲間がいて、会社の良さも分かってきます。思い通りにいかなくても、そこがどんなところか探求してみることが大切。そこから気づきややりがいが見つかることもあります」
木島氏は後輩たちにエールを送りました。
深澤晶久教授の話
ご講演の最後に、当日、同行されていた木島専務の部下のお二人にご発言をいただきました。その時に発言されたのが、「私たちは“木島組”の一員です」。厳しい経営環境において成長を続ける会社の秘訣を垣間見る瞬間でした。木島専務が、人を大切にし、とりわけ部下たちに心を配るチームワークの良さを感じさせていただきました。
心から感謝申し上げます。