国文学をビジネスに活かす!?野心的なプロジェクトがスタートしました
日本文学のビジネス応用の可能性を広げる本学初の「国文学マーケティングプロジェクト」が今年度からスタートしました。日本文学にちなむ知識や体験をビジネスに活用したり、実際にその知見をビジネスや経営に役立てている企業を全国各地から発掘したりするユニークな試みです。第一弾として滋賀県大津市で和菓子製造?販売業を営む「叶匠壽庵(かのうしょうじゅあん)」をケーススタディに選び、日本文学と底流でつながるビジネス現場の実際を見学しました。
プロジェクトは、文学部国文学科の深澤晶久教授(キャリア教育担当)の特別授業として計画されました。国文学科の3年生を対象とし、初年度の今年は6人が履修しています。今回、深澤教授とともに10月10日(土)、叶匠壽庵本社のある大津市の「寿長生(すない)の郷(さと)」を訪問しました。日本文学と企業の関わりを「ビジネス現場から肌で感じたい」という思いからです。茶席や陶芸などの体験も交えて叶匠壽庵が展開するビジネスの底流にあるものをリサーチしました。
国文学にも活用される仕掛けを
翻って、なぜ、そもそも「国文学マーケティング」なのでしょう。「国文学」を経営学の「マーケティング」という、外形的には距離感を感じる異質な概念と結び付け、なぜ今回の野心的なプロジェクトは誕生したのでしょうか。深澤教授によると、きっかけを「企業時代に研修を組み立てる中で、とりわけリーダー研修に求められることが、リーダーとして必要な知識やスキルではなく、教養いわゆるリベラルアーツであったことを思い出したのです。大学生として深い教養を身に付けて欲しい、国文学の学びから大きな財産を得ることが出来るはず、これこそが今の社会で活かせる最高の武器であると考えたからです」と語ってくれました。
経営学の大家?ピーター?ドラッカーは「マーケティングの理想は、販売を不要にするものである」と述べています。別言すると、マーケティングとは、客が自然に商品を買いたいという気を起させるものであり、つまりは商品が「売れる仕組み」づくりに他なりません。これを国文学に当てはめれば、「国文学という”商品”を、世の中で”売れる(活用される)”仕組みをつくる」ということに、なるのでしょうか。
実は国文学以外に目を向けると、ビジネスの糧として文学に親しむ経営者は、世の中にはあまたおります。例えば、論語や孫子はビジネスリーダー必読の漢学の書として解説書が書店に積み上がっていますし、かのITの巨人?アップル創業者のスティーブ?ジョブズは、生涯に渡り日本の宗教書「禅」に心酔し続けました。最近ではベストセラーアニメ「キングダム」を信奉し、主人公「信」の生き方と組織トップの自らのありようを重ね合わせて、企業経営の実を上げている若いベンチャー経営者すら現れました。だとすれば、日本文学を糧として企業経営の実を上げようという経営者が、この日本のどこかにいても不思議ではありません。
今回は、こうした日本文学との関わり抜きには語れない企業の一つを訪ねました。和菓子の「叶匠壽庵」さんです。創業は1858年9月。社長は芝田冬樹さんで、3代目となります。滋賀県内や東京都内の直営店以外にも、全国の名だたる百貨店などに出店しているので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。
和菓子と国文学、根底は一緒
「文学を知らないとお菓子の名前など思いつかないでしょ」。学生の一人は、国文学と叶匠壽庵の関わりについて、芝田社長が10日午前の講演で話した言葉を挙げました。別の学生は「国文学と企業の関連は、万葉集や古事記を考えると書物関係の企業と思っていて、叶匠壽庵さんを博物館か古本屋さんかなと思っていた。和菓子と聞いてびっくりした」と述べています。実は和菓子づくりでは、古典文学などからテーマが選ばれることが少なくないのです。叶匠壽庵のお菓子にも、小倉百人一首の世界観をモチーフにしたものがあります。
また、寿長生の郷の中に広がる里山の風景に国文学との関わりを感じた学生もいました。「自然の中にいると四季の移り変わりを感じられる。日本特有のものなので、文学とすごい関わりがあると思った」と話してくれました。国文学も里山の四季の移ろいも、ともに日本の和の文化や日本人の心象風景をベースにしているからです。この結果、学生の一人は「自分は国文学科で、他の学科より自然やそれらが作り出す情緒に触れて味わえるはずなのに、これまで向き合えてなかったなあ」と省みています。
叶匠壽庵が紡ぎ出す和の世界を理解するには、お茶やお花、陶芸などの日本の数寄(すき)に対する深い造詣は欠かせません。それを肌で感じたのか、「お茶席からは外も見えるし、季節を感じられるものがたくさんあった。それが私は国文学と深い関わりがあると思った」と話す学生もいました。
かつて、先代2代目の社長がお菓子づくりの修業に叶匠壽庵に来ていた若者に贈った歌があります。「花をのみ 待つらむ人に 山里の 雪間の草の 春をみせばや」。彼は約束の3年間を終えて叶匠壽庵を去る際、「なぜ3年間お菓子の作り方を何一つ教えてもらえなかったのですか。いつも掃除しかさせてもらえなかったのですか」と尋ねたそうです。先代は言いました。「ここは修行の場。人間の土台となる基礎的なものを学ぶ場です。だから潜学(機が熟して学んだものが溢れ出るまで学びを貯蓄すること)しなさい」。この意味を伝えたくて先代が若者に渡した歌こそ、茶の湯の始祖?千利休の歌でした。
就活の不安和らげ、就職率もアップ
このプロジェクトは3年生を対象とした正課科目であり、毎年受講生が増えて行けば、ややもすると学科の学びと就職を切り離して考えがちな学生に意識改革を促し、国文学科の就職率を押し上げてくれるのではないか、という期待もあります。深澤教授によると、「国文学科で学んで企業の就職活動がうまくいくのか、漠然とした不安を持っている学生は確かに多い」からです。
しかしながら、日本文学の知識や体験をビジネスに活かせる就職先を、存外に私たちが見逃しているのも事実です。例えばマスコミの世界です。取材の最前線で科学の専門記事を書いたり、企業取材を行ったりする記者の多くは、理工学部卒や経済学部卒ではありません。ほとんどは文学部卒です。彼らは卓越した日本語能力を武器に、難解な科学や経済の知識を自らの知識として取り込み、分かりやすく伝えているのです。
わけても、花形といえるのが新聞の顔?一面のコラムを担当する記者でしょう。朝日新聞の「天声人語」、日本経済新聞の「春秋」…。新聞の数だけ一面のコラムはあります。
彼らはアップツーデートな社会現象を話題に取り上げ、古今東西の格言?名言、故事から文章を説き起こして、現代の社会現象に関する、うんちくに富むコラムを瞬く間に書き上げてしまいます。その名文たるや、今更言うまでもありません。その源泉たる膨大な文学や古典に関する知識は、記者になってから身に付けたものではありません。大半は大学時代に深く学んだ文学や古典の知識にこそ、裏打ちされたものであるのです。
深澤晶久教授の話
国文学科の皆さんの学びは社会で役立つかということが言われます。この答えとして私が勤めていた資生堂の前社長?前田新造さんの逸話を紹介します。前田さんは文学部出身で、「現代の企業組織のコミュニケーションの問題を考えるヒントが日本の古典にはある」をモットーに日本の古典を経営に活かすトップでした。そして「学ぶからには深く学ばなければならない」として、社長室には日本の古典の本が置いてあり、時間を見つけては読んでおられました。
例えば、役員候補者を対象とした研修で「組織に壁はありませんか」「本社の部門間のコミュニケーションは取れていますか」「本社の連携が良くなくて、現場は理解できますか」と問い掛けるのに、枕草子161段「近くて遠きもの」を引き合いに出して話されました。このエピソードは私の心に強く響きました。あの場面からやがて10年、大学の教員として学生の皆さんに直接伝えられるとは思ってもみませんでした。国文学科の皆さんには、社会に役立つか、結び付くかではなくて、結び付けるような国文学科の学びにしてほしいと願っています。皆さんのあらゆる学びが社会で役立ちます。だからこそ深く学ぶのです。