歩いて楽しい街並みの条件
?VILNIUSで考えたこと?
あれは中学生の頃だったか、それとも高校生の頃だったか、ウラル山脈の西はヨーロッパだと習った記憶がある。
建築学科に入ってすぐの頃、好きな建築家はと問われればアルバ?アアルトと答えていた青年としては、フィンランドに一度は行かねばならぬと思っていた。だから、本当はフィンランド巡りをするはずだったのだが、後輩のKちゃんに、バルト三国って、どう?と聞いたのが運の尽き。ああ、あそこはソ連から独立したけれど、裕福ではなかったから、昔の街並みが残っていてきれいですよ。槙さんにはいいかも知れない。
パスポートのビサの欄が足りなくなって、有効期間中に2冊目に突入するような旅の達人にそんなこと言われては、放っておくわけにはいかない。
さらに、ぼーっと地図を眺めていると、サンクトペテルブルグがヘルシンキの目と鼻の先であることに気づいた。私はロシアにはほとんど興味を抱いていなかったのだが、此処だけは別。積年の恋慕の館、エルミタージュ美術館があるのだから。
そんなわけで、ヨーロッパの最東の地、フィンランド→ロシア→バルト三国を2週間弱でまわるということに相成った。
ビサの取得で苦労し、なれない霧留文字にやっと慣れてきた頃にロシアを抜け出し、たどりついたのがバルト三国の一つ、リトアニアの首都ビルニュスだった。
帯同したお守り「地球の歩き方」には、駅前のタクシーに気をつけろなどと書いてある。まだ夜の明けきらない駅前には、サンクトペテルブルグのきらびやかな街とは違った、少しにごった雰囲気が漂っていた。しかし、この街は、期待以上のすばらしい体験をさせてくれた。街を歩く楽しさを教わった興奮で、街中の路地という路地を歩き回り、シャッターを押し、メモを取った。以下、それらの素材をもとに、街の魅力について考えたことを書き綴ってみようと思う。
坂道
坂道
街一番の繁華街 ピレス通り
普通、城塞は山の上に築かれる。だから、駅から城に向かえば、道を登っていくことになる。しかし、ヴィルニュスの駅は、珍しく高台にあった。駅から街の中心部に向かってメインストリートを下っていく。川に出会うとold townは終了である。そこは2つの川の合流点で、小高い丘がある。そこを城としたというのがからくりだ。
なだらかな坂道を下っていくのは、なかなかいい気分だ。路面が見え、人が見え、屋根が見える。平らな道は、壁ばっかりが目立つような気がする。
坂道と屋根
坂道と屋根
坂道の風景宿としたユースホステルは、旧市街の外側にあった。そこから旧市街に向かうには、坂を上って行かなくてはならない。
少し登って振り返ると、さっき見たのとは違う風景が見える。
壁しか見えなかったのが、屋根が見えるようになる。屋根の下に窓が見えるようになる。庭木が見えてくる。
坂道があるだけで、まわりの建物はさまざまに変化し、面白さを増してくる。
つい、振り返ってしまう。
湾曲した道
湾曲した道
教会がだんだん見えてくる路地
道路は、真っ直ぐあるべきだという発想は、いつ頃できたものだろうか。平城京や平安京のモデルとなった長安が格子状の街路を持っていたとすると、すでに千年以上の歴史があることになる。アッピア街道もローマあたりでは真っ直ぐだったと書いてあるのを読んだことがある気がする。そうすると、二千年近い歴史があるのだろうか。
自然界に直線はないと言われる。道路を真っ直ぐ伸びた線で構成するということは、人間の仕事であることを示す。そう、自然に勝利することが生き延びることを意味した時代、それは象徴的な意味を持っていたに違いない。でも、今は自然との闘いの意味合いで直線が使われているのだとは思えない。
人間が車に負けたから、直線なのではないだろうか。都市計画なんてものができて、定規を持った技師がいるから直線なのではないだろうか。
「B. ルドルフスキー著:人間のための街路 p238」より
アルベルティはマルティーナには足を踏み入れなかったかも知れないが、彼の理想とする都市の街路はこの古い町の街路と完全に一致する。「町の心臓部では」と彼は《建築十書》の中で書いている。「街路は真直ぐよりも曲りくねっている方が良いだろう」。彼の主張によれば、狭い街路は暑いときは陽の光を防いでくれ、しかも風通しが良い。曲りくねった街路は心地良いそよ風は通すが、氷のように冷たい風は遮る。そしてこれ以外に美学的な利点もある。アルベルティは付け加えて言う。曲がりくねった街路では、「一歩歩むごとに新しいものが見え、またすべての家の前面と入り口は直接街路の中央に面する...街路の曲折によってどの家の視界もこのように開けていれば、それは健康的でしかも楽しいだろう」。
Y字路
Y字路
どちらにしようかな道は、どこかで他の道と出会う。交差点。あなたはどんなイメージがある?
十字路。それは、出会うまでは真っ直ぐな道。信号機がサインだ。信号機に取り付けられた表示が、曲がるべきポイントを教えてくれる。「えーと、この交差点で右折だな。」
十字路を曲がると、まったく別の道になる。
Y字路。あなたの目には、曲がるべきポイントを示す噴水や建物や緑が映る。この道を道なりに行けばどうなるかは、目に入っている。しかし、右折する道路も、すこうし、目に入っている。「右折したらどんな風景が待っているのだろう。」
わずかな手がかりをもとに考えるともなく考える。それは、期待という感情を呼び起こす。
出会いには、手がかりが必要だ。
アイストップ
アイストップ
緑の向こう側には教会がある
真っ直ぐな道路は、突き抜ける。そこには、パースペクティブが拡がっているだけで、彼方にはぽっかり空いた空間が見えるだけだ。そこに夕日でもあれば、感動が待っている。しかし、何もなければ...、何を見ていいか分からない。
視線の先に、緑があったら。それは無機質な街並みによって、さらに引き立てられる存在となる。無機質な街並みを和らげる。
教会があったら。同じことさ。高さの揃った街並みに変化を与える。目のやり場を作ってくれる。
道幅の変化
道幅の変化
家は矩形、道はカーブ 細かいことは気にしない
道の両側に並木。その外側にペイブメント。それほど悪い風景ではない。...しかし、この楽しさは何だろう。誰が道路の幅は一定じゃないといけないと決めたのだろうか。
隅があっても、いいじゃないですか。かくれんぼに使ってもいい。寄りかかって一服してもいい。ちょっとしたたまり場になるかも知れない。売り物を広げるおばさんが現れるかも。
えっ、車を停めたい。それはやめましょうよ。
のぞき見
のぞき見
道路から中庭の方を見るショッピングの楽しさは、のぞき見の楽しさだ。余談だが、フランス?ドイツ国境に近いオランダの街、マーストリヒトで商店街をぶらぶらしているときに、八百屋や肉屋や菓子屋は見ていて楽しいのだが、電化製品の店はひどくつまらなかった。
その話を日本に帰ってからしたら、「並んでいる製品のデザインによるんじゃない。」といわれた。Sonyのディスプレイがうまいとか、そういうことはあるかも知れないが、私にとっては、それでも電化製品はつまらないように感じられる。
右の写真の風景は、中庭に抜けてみたいという欲求を生み出す。入ってみれば大した風景ではないのかも知れない。でも、生活が垣間見える。そんな気がするだけで、時間と空間を味わえる。
ヨーロッパの町に行ってうらやましいと思うことの一つに、中庭の存在がある。囲まれたセミプライベートな空間は、自分たちのものだ。
そこに車では味気ない。そうなのだが、路駐の嵐で、道路が車だらけになるよりはいい。たしか、アレグザンダーも「パタンランゲージ」の中で、駐車場を道路から奥に入ったところに作るよう薦めていたと思う。
中庭に設けられた?駐車スペース 実は、この街にも車だらけの広場があった。車の生命力って、ゴキブリ並みだからなあ。だとすると、中庭はゴキブリホイホイか!? そう考えると、中庭もつらいのであった。
窓辺の花
窓辺の花
花は挨拶だ花が窓辺に飾られているといい。ロマンチック街道(ローマに通じる街道の意味で、決してお熱い二人が通る路ではないらしい。念のため。)に沿った村々のハーフティンバーの街並みにも鮮やかな花は付きものである。
私はまだ行ったことがないのだが。
こちらの石造りの街路でも、花は華やぎを作り出していた。
新しい建物との調和
新しい建物との調和
新しい建物が古い街並みに溶け込んでいる ヴィルニュスの旧市街は、お化粧の最中だった。なんでも、来年、フェスティバルがあるらしい。
左手の白い建物は、最近建てられたであろう建物である。確か、オフィスのような使われ方をしていたと思う。東京でならともかく、この街ではモダンな建物だ。
白という色は、結構強い色だ。それが、周辺の色彩の中で、主張することなく、収まっている。
窓や屋根のデザインも、シンプルではあるが冷たくはなっていない。
周辺との関係性をよく考えた選択だと思う。
新しい部分の作り方 一階がショッピングウィンドウになっている。結構派手に見えるかも知れない。でも、そのわりにはちょっとした落ち着きを感じませんか。グレーで抑えていること。派手な色も、ラインとして扱われ、すっきりした印象を与えること。派手だといっても、最高彩度ではないし、黄と赤の間の中間色相を用いていること。そんなことが関係していると思う。
一言でいえば、センスがいい。
滞在を終えて
滞在を終えて
こんな街作りって、計画的に行うことができるのだろうか。そう考えると、ちょっと悲観的になる。特に、もうできあがった街では不可能だろう。自分は何の役にも立たないことを観察していたのかという気にもなる。
それにしても、こんな街路が日本にもあるのだろうか。城下町には、先の見通せない造りの所がある。あれはあれで楽しいのだが、基本的には直線の世界である。きちっとしていて、妙に日本らしさを感じる。
お袋の出身は城下町で、そんなクランクが方々にある。家族で親戚に遊びに行って、車で街を通り過ぎるときには、面白さとともに不便さを感じた。今回のように、のんびり歩く旅行者にとって楽しい街並みも、せかせか目的地を目指す住人にとっては、楽しむ余裕はないかも知れない。
《曲がりくねった道は、余裕を表す指標?》
経済的な自立を目指している途中なのだろう。この国には、まだ、貧しさが漂っていた。
ヴィルニュスにある教会の入り口には、必ず物乞いをする老婆がいた。しかし、彼女たちは恨めしそうな表情をするでもなく、金持ちであろう観光客をひどく妬んでいるのでもなさそうだった。それが救いだ。
小さな国の小さな街。訪れるまで、ほとんど何も知らなかった場所。でも、その歴史が持つ街並みの魅力が、この国を応援したい気持ちにさせてくれた。
もう一度、訪れてみようと思う。