採点についての後編
槙先生の出題するテストは不評である。わからないとか、難しいとか言われる。でも、私は大変オーソドックスな問題を出している。大事だと思うところを出題し、些末なところはできるだけ出題しないようにする。だから、山は張り易いはずだ。それなのに難しいと言われるのはなぜだろう。
それはたぶん、私がある程度は言葉を憶えないとしゃーないと思っているからであり、また、言葉だけ憶えてもしゃーないと思っていることによる。
その分野の専門家と話をしようと思ったら、ある程度は言葉を憶えないといけない。私の英語のように、ときどきわかる単語があるという状態では、正確な意味が掴めない。やはり、言葉を憶えて、推理に頼る割合を減らさないといけない。そう考えれば、いくつかの選択肢から明らかに違うものを取り除いて山を張るというような現実をシミュレートしない問題を用意するより、書き込む解答欄を用意することが多くなる。持ち込み不可にすれば、きちんと憶える作業が必要になるから、それを怠れば「難しい」ということになる。
言葉だけ憶えても、意味を理解していないと使えない。だから、穴埋め問題を作るにしても、テキストの表現そのままにして空欄を設けるというやり方は取らない。オリジナルの文章を作成して空欄を設ける。そうすると、単純繰り返し型の勉強では点を取りづらい。そういう一夜漬けをやった人にとってはますます難しいということになる。
でも、それは不思議なことなのだ。どうせ時間を使うのなら役立つ知識を身につけたいのであって、1週間もすればすっかり忘れてしまうような「丸暗記」なる勉強など、もったいなくてやる気がしないというものだ...、と私は思うのだが。
だいたい、「これ、丸暗記しなさい。」と言えばみんないやな顔をするだろう。それなのに、試験前になると、そのいやなことをやるのだ。それは矛盾だろう、と思う。
じゃあどうすればいいのか。それを考えるのも勉強だ。(これは、意地悪でなくて、本当にそう思っている。やり方をよく考える人は成果も出るという傾向は、確実に存在すると思う。)
でも、ひとつだけ私がやっていたことを挙げてみよう。それは、自分の言葉で説明してみるというやり方だ。たとえば、「ロマネスク様式」を友人に説明してみる。「蔀戸」について、説明してみる。そういうことである。絵を使ったっていい。言葉だけでもいい。ワープロで打って推敲してもいい。Webから画像を取り込んで挿入してもいい。とにかく、自分の中に蓄えられているもので表現してみようというのである。
このとき、文献を参照しながらやってはいけない。Webの画像を探すときも、頭の中にある情報を元にやるべきだ。
できれば、その結果をよくわかっている人にチェックしてもらうといいが、友人同士で説明しあってもいい。わかりやすさも、その人が物事をわかっているかどうかを判断する目安になるから、友人がわかったような顔をすれば、だいたいは安心していいだろう。
私の経験では、自分の言葉で表現した事柄は、しばらく経ってからも頭のどこかに引っかかっている可能性が高い。つまり、必要になったときに取り出して使える可能性が高いのだ。使える知識というのは、本質的な部分を掴んでいるものだろう。説明できるほどにそれが整理されているのであれば、使い勝手はいいはずだ。そういう知識こそ、応用が利くはずだ。
それは知識ではなく、知恵だと言う人もいる。
さて、こんなことを書いたのだから、この次のテストは、ここに書いたことをもう一度よく読んでから作成することにしよう。そして、授業でもそういう教材を用意しよう。...努力目標!
fin.
2007.7.20
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