槙のプロフィール
経歴
生まれ
東京オリンピックで、東洋の魔女が活躍する直前の春。
幼稚園
とてもシャイで、幼稚園に行くのがいやだった。バスに乗るのを嫌がり、乗りたがる妹と交替したという逸話もある。
最も初期の記憶は、お漏らしをして先生にパンツを取り替えられていると園長先生が帰ってきたのが窓越しに見え、「ああ叱られる。」と思ったこと。その頃より、女性恐怖症である。
小学生
こどもの頃から、ウルトラマンの背中のファスナーが気になったり、スカートめくりをしている友達を見て、なぜ女の子が嫌がることをやるのか理解できないと思ったり。人が自分とは違う考え方をするらしいということに気づき、ヒトの心に興味を抱いたのは、たぶんこの頃。
中学生
技術の時間に、仲良かった友達と教科書に別荘の図面を描いた。夢想好きであったが、規模は大して大きくはなかった。しかし、彼も自分も、それより小さな家に住んでいる。
高校生
学校まで 15km。普通は電車通学をするのだが、7:20の次は 8:00過ぎ発で、そちらでは始業時間に間に合わない。 7:20に乗る !?
それは無理なので、3年間、自転車で通った。雨の日も風の日も雪の日もである。 30 km× 250日× 3年間として 2,250km。地球を半周はしたことになる。
大学生
ここまでは薄味に違いないと、勝手に関西に近いイメージを持っていた名古屋で過ごす。生協の食堂で出された赤みその味噌汁になじめず、大学時代は味噌汁を飲まなかった。おかげで毎食 30円分が浮いた。人を断るのが苦手だったためか、友人が常駐する下宿部屋は「 Salon de Maki」と呼ばれていた。私の部屋で貸しレコードのダビングをし、その間に持ってきた衣類を洗濯し、マージャンをやって金を巻き上げて帰っていく輩もいたが、それでも彼らはりっぱな社会人になっている。若者は温かく見守るべきであろう !?
大学院生(修士課程)
そろそろ都会に進出しても大丈夫かと東京に出てきた。しかし、初めて歩いた自由が丘の人混みに唖然。渋谷は推して知るべし。自分は田舎者であることを痛感する。
人が2年で出るところを3年掛かって修了したため、同期が人の2倍いる。
社会人(会社員)
「おまえは建設会社に向いていない。」という先輩の一言に納得し、コンピューターの会社に就職した。時はバブルの絶頂期。建設会社に努めた同期のボーナスが自分の2倍あったことから、後悔の念に囚われる。
コンピューターとの相性が悪く、目をやられて将来を考える。
大学院生(博士課程)
出戻りで、修士の時に在籍した研究室へ。「成績優秀に付き2年で修了」の予定であったが、普通に3年掛かる。浴室なしの下宿であったので、学校のシャワーを毎日使用。授業料の元を取る。
社会人(教員)
1年の就職浪人を経て、実践女子大学へ赴任。今に至る....。
学校だけでなく、家でも女性に囲まれながら生活している。それが幸せかどうかは、やってみればわかる。やってみるにはどうしたらいいか。それは、...秘密!