ちょっとした文化の違いのお話し
オランダに着いた日は、年に一度のジャズフェスティバルとやらで、最初の目的地デン?ハーグでは宿がとれなかった。仕方なく、近郊の街ライデンに泊まることにした。こんなことがあったせいで、デン?ハーグとライデンの間を行ったり来たりすることになったのだが、行き来する列車から新興の集合住宅地らしきものが見えたので、翌日の朝、出向くことにした。
ライデンは、運河の多い街である。だいたいが、街の中心は運河の交差点といった風情の所で、運河に浮かんだビア?レストランで一杯やったり、運河めぐりのクルーズに出発する場所である。そんな街だから、住宅も運河沿いにあった。緑の中の集合住宅は、しっとりとしていた。
窓が非常に大きく、室内(居間)が見通せる。その室内は、私のように珍しがって覗き込む異邦人を意識してかしないでか、きれいに整とんされていた。日本の居間であれば、テーブルの上に何がしかの本や郵便物や菓子器が、床には子供のおもちゃか時には新聞が、何かそんなものが散乱していると思うのだが、オランダではそういったものは目に入らない。朝早くであるから、掃除がすんだ時間とも思えない。きっと、それが普段の状態なのだろう。きちんと整えられた室内が印象に残った。
この写真では、通りに面した窓から、中庭が見える。別に驚くことではない。中庭に面した窓も大きく、2枚の窓越しに、庭が臨めるということだ。しかしこれは、明るさや眺望を重視したつくりだ。プライバシーとか、熱効率とかを考えれば、こんな大きさにはしないはずだ。オランダの冬の厳しさは、オリンピックの長距離スケート陣の活躍で証明済みなのだから。日本ではこうはいかないだろう。
これは、帰国した後に、建築学会(九州大会)に併せて訪れた熊本アートポリスの建築群の一つで撮影した写真である。この窓は人通りのある通りに面しているのではない。住人のうちの何人かが通るかなあといった程度の、プライベートな道に面した窓である。しかし、古新聞による目隠しが為されている。この違いは何なのだろうか。
昔、こんな文章を書いたことがある。
内と外の区別
ヨーロッパの駅では、少年がおばあちゃんの大きなバッグを列車に載せてあげるという光景を良く見かける。実にほほえましい光景で、うらやましいと思う。
このようなことができるのは、改札がないので見送りの人が簡単に列車に近づけるからである。入場券を買わないと駅に入れない日本では、このような光景はあまり見られない。見送りの人は実際には列車に乗らないわけで、お金を払う筋合いはない。なのにお金を払って中に入らなくてはならないのは、いかにも不合理だ。しかし、これが認められているところに、日本の特徴があるように思う。
どうやら日本人というのは、自分と他人ではなく、自分達と他人で境界線を引きたがる人種なのではないか。
利用者は同じ列車に乗る、お金を払った仲間である。それ以外の人は他人である。だから他人は列車にできるだけ近づけないようにする。もし近づくのであれば、お金を払わなくてはならない。
自分と他人ではなく、自分たちと他人で境界線を引いているのだと考えると説明しやすい事象はほかにもある。
たとえば、「家に上がる」という言葉があるように、家に入るときには一段上がることになる。そして、このとき靴を脱ぐのが普通である。これは、家の外と内を明確に区切っている証拠だろう。西洋では靴のまま、廊下と同じ高さの平面を歩く。家はまだ外部の延長なのだ。では、どこが内かと言えば、書斎や寝室なのであろう。そこでは靴を脱いでくつろぐこともある。これらは、家族を内と考えるか個人を内と考えるかの違い、言い換えれば家族主義と個人主義の違いであるように思う。
個人主義では、個人を大事にする。自分以外が外部だとすると、人と接することは皆外部と接することである。だから外部に敬意を払う。それで窓辺に花を飾ったりする。家の中でもパジャマでごろごろすることもない。日本では家族は内であるから、ここでは敬意も払わなければ気も使わないので、娘に「お父さん格好悪い」と言われてしまうことになる。
大学キャンパスも日本と西洋で違いがある。日本では、キャンパスのまわりを塀で囲う。キャンパスには入れるのは、基本的には学生と教職員だけである。それに対し、ケンブリッジ大学などは、ケンブリッジという街全体に建物が散らばっている。セキュリティはどうするのかと言えば、たぶん建物単位、研究室単位で行っているのだと思う。だとすれば、これも個人主義である。
個人主義や家族主義などというと、対人間の考え方のように思える。しかし、これらのことから考えるに、街や建物にも、これらの思想?文化の影響があるとの感を持つ。
外国で生活した経験があるわけでもないから、この文章に、さほどの自信があるわけではない。
ライデンはオランダで最も古い大学のある街ということだったが、夏休みのせいか、学生の姿はまばらだった。日本との関係が深かったオランダの人々に、住居に対する考え方を聞いてみたかった。
1998.10.24