学生と建築を巡る旅も5回目。世知辛い話であるが、旅行代金高騰の折、比較的宿代の安いスペイン南部を中心に企画しましょうという話になり、そして、バス代も高騰の折、大都市巡りに近いプランができあがった。バルセロナ→グラナダ→マドリッド→パリ。すべて1~2度たずねたことのある都市であり、そういう意味では私にとっては新味がない。しかし、もう一度見たいと思う建築のある街でもあり、それなりに楽しみにしながら、仕事の直中に出発する後ろめたさも残しつつ、成田へと向かったのであった。
バルセロナ
スペインで学生の興味を引くにはガウディしかないだろう。名前で人を呼べるビッグネームである。私が初めて此の地を訪れた20年前には、あと200年は掛かるだろうといわれていた聖家族教会の建設も、2030年までに終わるという賭けが成立するところまで来ているようだ。
<サグラダ?ファミリア>
20年前に来たときに感動し、5年前に来たときにはがっかりし、さて今回は!?
形ができてきたことに対する感慨は前回よりあった。受難の門の現代彫刻に対する拒絶反応も前回よりは小さかった。そういった中で印象に残ったのは造形のベーシックな考え方である。ガイドさんがてきぱきと説明してくれたのは、長方形を角度をずらしながら重ねていった形、双曲面による鼓のような形、楕円をまわして出来る卵形、そういったものが造形に使用されているということであった。これらは旧付属小学校の建物に展示があったのだが、ガウディを語る格好の教材となる。
ガウディは教材にしやすい。大変わかりやすいのである。あのドロドロした造形をわかりやすいと書かれると不思議に思われるかもしれない。しかし、コロニアグエル聖堂の逆さ模型やカサ?ミラ、カサ?バトリョの屋根裏部屋に代表されるパラボリック?アーチの使用、グエル公園の斜めの柱や波に範を取ったとされる造形に見られる横方向の応力を考えた造形など、実に理に適った造形であるので、解説しやすいのである。特に、サグラダ?ファミリアぐらいの大きさになると、構造をどう見せるかという問題がクローズアップされてくる。それが造形に直接的に見えるのだ。
<カサ?バトリョ>
高額と思える入場料だが、カサ?ミラとは違った魅力があり、見学をお勧めできる。ここでガウディは改築を担当しているから、構造に表現された造形ではなく装飾的な造形について語るべきであろう。
「自然の中に直線はない。」と言われる。自然を師としたガウディの建築に直線が見られないのは、ごく自然なことなのだろう。壁と天井は有機的に連続しており、それが照明などの装飾にまで連なっている。しかし、床は平らである。床の特殊性を想う。
壁と天井が連続しているというのは、伝統的にドーム型の天井が存在するヨーロッパでは普通なのかもしれないが、直線で構成される日本建築、現代建築に馴らされた眼を通してみると若干の違和感がある。しかし、そこでの光の変化は柔らかい。バトリョ邸でも、光は徐々に変化していく。メインルームでは、欄間の位置にステンドグラスがはめ込まれている。そういったことも、上方から光を拡散させることに役立っているようだ。
さて、ガウディはモデルニスモの建築家ということになっている。英語であればModernism。近代建築のはずなのだが、様式の分類ではアール?ヌーボーとなることが多い。それは、バトリョ邸を見れば納得できる。すべて手作業であり、設計と施工の分担もできない(ガウディは、模型は作ったが図面はほとんど描かなかったそうだ)、大量生産もできない(部屋にあわせて家具も作る必要がある)。伝統を否定したものの、図らずも近代の要請を否定していたアール?ヌーボーの命は短かった。私はこの時代に回答が存在しているように思うのだが、今後、近代性に手業を同居させることが可能かどうかはわからない。
グラナダ
<アルハンブラ宮殿>
時間帯が良かったらしく、ゆったりと見学できた。前回訪れた時は装飾の力について考えさせられたが、今回は空間構成が気になった。入り口で暗くして、居室に至る。窓からアルバイシンの白い街並みが見える。そして、暗く狭い小部屋を通り、階段を折り曲げて次のパティオに出るという構成。それが連続する。F. L. ライトがやっていることに近い。明暗のコントラストと視界の変化をうまく組み合わせた事例と言えよう。
<カルトゥハ修道院とグラナダ大聖堂>
シエスタが終わる午後4時に活動を始め、カルトゥハ修道院とグラナダ大聖堂を見た。
カルトゥハは過剰な装飾で知られている。スペインバロックの代表例であろう。装飾には財力を現すという意味合いもあるだろうが、ここでは漆喰が使われている。漆喰の装飾は安っぽい。実際、グラナダ大聖堂は大理石ではないために荘厳さに欠ける。大理石が使用されたフィレンツェのドゥオーモなどと比較すると、数段安っぽい。グラナダ大聖堂は巨大だが見る価値はないように思えた。カルトゥハもそのようなところはあるが、過剰な装飾に救われている。凹凸のラインに甘さが残るにしても、装飾の饒舌さがそれを目立たなくさせるのである。
アルハンブラも、漆喰であるのに安っぽさがない。過剰な装飾と暗さと幾何学性が救っている。壁の平面は漆喰の安っぽさを目立たせてしまうが、レリーフとなればそれほど気にならないのだと思う。いや、白壁の土蔵などはそれなりに良いか。そう考えると、光と素材というものが大きく関わっているように思われてくる。外の強い光があれば平面も捨てたものではないのだと。
マドリッドとセゴビア
<アランフェス>
サルスエラ競馬場を諦め、フェリペ?イザベラ女王の離宮アランフェスに行ってみることにした。私は宮殿にあまり興味がなかった。同じような部屋の羅列に過ぎないように感じていたからである。もしかすると過剰な装飾にも辟易しているかもしれない。
それでも出かけたのは、単に左右対称の宮殿外観の写真が欲しかったからだ。別に何処でも良かったのだが、そういう写真があると、先に全体的な形が決まり、その中に部屋を区切っていくような造りの話をするのに、また部屋を通り抜けていく動線の話や、全体の形や空間の形などより装飾によって差別化が図られる建築について語るのに都合が良いだろうと考えたのである。
結論から言うと、インテリアはなかなかであった。タペストリーのデザインも質が高かったし(好みにあったし?)、寝室の家具のデザインも良かった。そうなれば宮殿建築への辟易した気持ちも和らぐ。
ひとつ、アルハンブラの二姉妹の間を模したという部屋があった。その装飾は確かに鍾乳石飾りのようなのであるが、極彩色に彩られている。唐招提寺が創建当時の彩色になった時のような違和感を覚える。色が過剰だと感慨も湧かないものだ。
<セゴビアのアルカサル&ベラ?クルス教会>
20年前に訪れて良いと思ったアルカサルとベラ?クルス教会を見に行った。学生と待ち合わせてバスに乗ること1時間半。昼食を取った後、セゴビア大聖堂でのんびりしていたら、クローズまで1時間あまりしかないことに気づいた。しかたなく、待ち合わせ場所だけ決めて神風?弾丸?駆け足ツアーを敢行することになった。その結果、否応なく認識させられたのが記憶の曖昧さである。
アルカサルは天井の高さと大きさの異なる部屋が連続的に繋がっているのが良いという印象を持っていた。それが20年前の印象だ。それ以来、天井の高さは部屋の大きさによって変化すべきだというA. ロースの論「ラウムプラン」の中世における実現例と思っていたのである。しかしそれは思っているような連続性は示していなかった。また、天井は極彩色で、私のもっとくすんだ印象とは異なるものであった。まあ、これは20年の間に塗り替えられたのかもしれないが。ここにも極彩色が好きな人たちがいたのだなあと思う。
もうひとつのベラ?クルスの教会は、十二角形をしている集中式の教会というイメージを持っていた。しかし、中央に四角形の塔のようなものがあり、それを囲んだ空間となっているので、ドーナツ型といった方が正しい。そんなことも覚えていないものかと思う。
ここはキリストの像がいいと思った記憶があり、ぶれた写真が残っている。それがアプスの中にあった。嗚呼、此処でいいんだ、と思った。この素朴なキリスト像に会いに来たのだから。
それは確かに良かったのだが、印象が浅い。たぶん照明のせいだ。入場料を払うと電気を点けてくれるのだが、それが堂内を全体に明るくしてしまう。それでキリストの顔も体ものっぺりしたものになってしまうのだ。
ろうそくに近い配光の照明にしてくれないものか。
パリ
飛行機の関係で移動に1日を費やすことになり、滞在が短くなった。残る2日間で何を見るかなのだが、今回はステンドグラスのある教会?チャペルをいくつか見ることになった。冬のパリは太陽が顔を出す時間がほとんどないそうで、滞在中もうっすらと明るくなったり、どんよりとしたりと、春に向かいつつあるがまだ冬といった風情。ノートルダムやサント?チャペルは暗い感じであったが、ル?ランシーは色が濃く出ていて、それはそれで良かったように思う。
<ル?ランシーの教会>
オーギュスト?ペレの教会デビュー作にして、最高傑作といわれる建物である。柱が壁から離され、カーテンウォール的な構造となっている。その壁の部分に絵ガラスが嵌め込まれている。このような構造は、それまでの教会建築では望めないもので、鉄筋コンクリートという素材が可能にしたものだ。
ゴシックの教会がステンドグラス越しの色に包まれていると言っても、壁は厳然として存在する。一方、ペレの教会は壁全体がステンドグラスだ。まさに色に包まれている。そのような世界を作り出せたのは鉄筋コンクリートが生まれたからなのである。
鉄筋コンクリートを使えば型枠が必要になる。手仕事でやればコストアップは必至だから直線的な表現が標準となる。ペレの教会は潔いほどに直線性が強調されていた。側廊部分にはアーチ型が効果的に使われていたが、それも単純な型枠を使用したものである。このようにコンクリートの特性を活かした造形であるから、やはり名作であると思う。
教会入り口に立つと祭壇奥の青いガラスが目に飛び込んでくる。青というのは不思議な色だ。美しい。クリスマス?イルミネーションにも白と青が使われるが、この2つの色はなぜか美しい。なぜ、そう感じるのだろう。そんなこと考えてもしょうがないと思われるかもしれないが、私にとっては考えてみたいテーマである。
帰路にて
成田に着く頃、ガソリンの使用量についてアナウンスがあった。150tだそうだ。あわてて機内誌をめくってみると、342名/Boeing747-400とある。搭乗機がこれかはわからないが、このタイプが一番乗客数が多かった。それでも一人あたりに換算してざっと0.5tのガソリンを使用したことになる。往復で1,000リットル。18リットル缶で50本ちょっと。リッター100円でも10万円。
それだけのエネルギーを使用しただけの成果が得られたか、自問自答してみたい。
ジュリーさん、今回もお世話になりました。みんな無事で良かった。「今度」があるといいですね。さて、円とユーロの綱引きは、2年後、どうなっていますやら。
次回作をおたのしみに
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