きっかけは平成29年度の建築デザイン研究室のゼミ合宿でした。「木造建築の神髄に触れる旅」と題して、滋賀?京都の様々な木造建築を見学?拝観して回り、また実際に大工の作業場で木組のワークショップを体験してきました。中でも特に、園城寺(三井寺)光浄院客殿を拝観したとき、中門廊?縁側部分の美しさや居心地の良さに引き込まれました。
そこで、光浄院客殿の眼に見えない部分の解明をすることで、その美しさの秘密や当時の職人の技術の素晴らしさを発見できるのではないかと考えました。残された少ない図面から光浄院客殿の骨組みを読み解き、軸組模型を制作することで、図面のみでは明らかにできなかった当時の大工の技術と工夫を見つけ出そうと試みました。
光浄院客殿は、1601年頃に山岡道阿弥によって建設された国宝の建築で、室町時代に誕生した「書院造」の代表的遺構と言われています。部分的に平安時代の寝殿造の特徴も残っていて、「主殿造」とも呼ばれています。江戸時代初期に完成した大工の教科書といえる木割書「匠明」にも掲載され、完成された中世住宅の姿を今に残す貴重な建物です。
建物の南面には室町時代後期につくられた庭園があり、広縁から眺める庭園は風情があって、細部までこだわったつくりに思いを巡らせることができます。
光浄院客殿は、明治34年に特別保護建造物(古社寺保存法)に指定されてから、何度か解体修理が行なわれています。今回は、昭和53?55年に行なわれた大規模な修理の報告書「国宝光浄院客殿 国宝勧学院客殿 修理報告書」に収録されている図面を参照し、また図面に記載されていない部分に関しては写真を読み解きながら、模型の制作を行なうことにしました。
中門廊は、光浄院客殿の大きな魅力です。この中門廊の部分は一般の建物に比べて柱スパンが広く、広縁の柱はなんと4間(けん)も飛んでいます。これだけのスパンをとばそうとすれば、ふつうは、広縁側部の桁(けた)を太くする必要があります。ところが断面図を読み解いてみると、広縁の桁は他の桁と大体同じ太さでした。これでは4間もスパンを飛ばすことはできません。
軸組模型を制作するうちに、どうやら、化粧垂木を挟んで下にもう一つ太い部材が使われていることがわかってきました。下の太い部材を桁が吊り、直交する桁が広縁部分の桁をうけ、独立する柱へと力を流していたのではないか。そのようにして、柱をとばしても屋根の重みを支えられたのではないかと考えました。
制作を終えて模型を見ると、想像以上に、桁までの構造が華奢で、屋根の重厚感が露になりました。中門廊の一本の柱を実際に見たときも、この柱はほっそりとしていて、構造を支えるものというよりも美しさの方が印象に残ります。しかし、その細い柱で屋根を支えるため、美しさの奥に秘められたさまざまな工夫が小屋組に隠されていました。
実際に模型を作ろうとすると、図面の解釈だけでは見えてこなかった問題点や疑問点と直面することになりました。おそらく実際も現場でさまざまな調節をしていると思われます。建築は図面がすべてではないことを学ぶことになりました。
光浄院客殿を解く(小林仁美?小林真理)より