佐藤 悟先生
国文学は、実はグローバルな学問。
幅広い領域に関心を持ち、
日本文化を国際発信してください。
佐藤 悟
国文学科
Satoru SATO
専門分野?専攻日本近世文学
国文学科
Satoru SATO
専門分野?専攻日本近世文学
[プロフィール]東京大学文学部国文学科卒、東京大学大学院人文科学研究科博士課程(国語国文学専攻)修了。1986年実践女子大学に着任。1997年より現職。
江戸後期のベストセラー作家?柳亭種彦との出会い。江戸後期の「考証随筆」とは
私が若い頃は学生演劇が盛んな時代でした。今では日本演劇界の巨匠と呼ばれる野田秀樹さんの芝居は、当時、駒場キャンパス内にあった「駒場小劇場」で上演されており、彼の初期作品をリアルタイムで観ています。その他にもさまざまな小劇場に足を運んでいましたね。演劇の街?下北沢の象徴である本多劇場ができたのもこの時期で、串田和美のオンシアター自由劇場が特に印象に残っています。また、能や歌舞伎といった日本古来の演劇にも興味がありました。
大学1?2年生でしていたことと言えば、演劇を観るか本を読むか。特に興味深く読んでいた本に、江戸時代後期に出版された随筆アンソロジー「日本随筆大成」があります。
ここでいう随筆とは、いわゆるエッセイとは異なるものです。日本随筆大成には、江戸時代の初期と中期に起きた事物について、同時代の文献を取り上げて「考証」した数多の文章が収められています。文献の年代や作者も確定されており、その点でも現在の国文学研究と似た手法をとっているジャンルと言えます。
あるとき先生にこんな質問をされます。「君は4年生になったら、どんな勉強をしたいと考えているの?」。卒業論文のテーマを見据えての質問でした。「演劇か江戸時代の随筆か、どちらかを研究しようと思っています」と答えると、先生の目がキラキラと輝きました。「江戸時代の随筆に興味があるなら、柳亭種彦について調べてみないか?」。江戸後期の作家?柳亭種彦と私の長い付き合いがはじまった瞬間です。
柳亭種彦は、江戸後期の読み物「合巻」を数多く手がけた人物です。合巻の特徴は、浮世絵師による挿絵と本文が一体となっていることです。柳亭種彦の合巻では、葛飾北斎や歌川国貞も挿絵を描いています。
ずいぶん後になってから知ったことですが、井原西鶴の専門家であった先生は、近代文学の研究者とも相談して、近世と近代を連続した時代として捉え直そうとしていたのです。そのため、柳亭種彦と仮名垣魯文を研究すべき重要な作者と考えておられたようで、私にその研究をしてもらいたいと期待していたようです。
マイナージャンルから一転、内外の研究者から注目される分野に。合巻研究の40年
ところが、私がより興味を惹かれたのは、種彦が近代作家に与えた影響よりも、江戸後期の「随筆ブーム」の背景にあるものでした。中でも種彦の随筆『還魂紙料』は今日でも内容が高く評価されています(間違いもかなりあるのですが)。
思うに、そこにあるのはノスタルジア。18?19世紀の江戸に暮らした知識人たちは、ひとつ前の時代、つまり江戸という都市のルーツである16?17世紀の文化を紐解くことで、自らのアイデンティティを探ろうとしたのではないでしょうか。
たとえば京の都ならば、文化のルーツは平安時代まで遡れます。対して江戸は、家康が幕府を開いてから発展した新しい都です。開幕から200年、浮世絵や滑稽本、歌舞伎、川柳といった町人文化が花開いた時期だからこそ、「故きを温ねて新しきを知る」随筆の執筆が活発になったのでは——というのが私の考え方です。
柳亭種彦、そして合巻の研究を続けようと大学院へ。ところが当時合巻は、日本近世文学の中でもかなりマイナーな分野でした。そもそも近世文学自体が、国文学の中ではマイナー。松尾芭蕉や与謝蕪村、井原西鶴といった有名人くらいしか、メジャーと言える領域はありませんでした。
江戸後期の庶民が楽しんだ極めて大衆的な読み物である合巻は、およそ8千点もの作品が確認されているにも関わらず、ほとんどが手つかず。何人かの先生から「そんな大変そうな研究はやめて僕の研究室においでよ」とお誘いがあったくらいです(笑)。
何がそんなに「大変そう」なのかと言うと、合巻は活字化されていないものがほとんどであり、原本か、原本を撮影した画像を読むしかなく、実際入手にはいつも苦労していました。
私が合巻の研究をはじめて40年、今ではすっかり国内外の研究者から注目される分野になりました。パソコンによる画像処理技術の進歩、そしてインターネットの普及が、合巻研究のメジャー化に一役買っているのは間違いありません。柳亭種彦の合巻もほとんどの作品が、インターネット上で高画質画像で公開されています。
江戸時代には、挿絵という視覚表現と一体だった文学は、明治時代に挿絵が切り離され、いわゆる近代小説となりました。そして現代。SNSによる発信は、言語表現と視覚表現が連動して行われるのが当たり前。そんな背景もあり、学生たちにとっても受け入れやすいジャンルになったような気がしています。
自国の文化への深い教養と「考える力」を身につけ、世界と渡り合ってほしい
博士課程修了後、すぐに講師として実践女子大学で教えはじめました。以来、30年以上にわたって多くの学生を見守り続けています。
卒業論文の準備を行う演習授業では、すでにご紹介した柳亭種彦の『還魂紙料』を読み解いていきます。ここで学生にしてもらいたいのが、「辞書を超える」という体験。
合巻の多くは活字化されていないとお伝えしました。随筆も、活字になっているのは一部だけ。やはり、活字でない情報は正しく拾われにくいようで、辞書に間違った情報が掲載されることがあります。
『還魂紙料』を読んだ学生は、自分が理解した内容と、辞書の解説との違いに気づき、「私が間違っているのかな?」と不安になります。しかし、ほとんどの場合、正しいのは辞書ではなく学生。自分の読解能力が「辞書を超える」体験は、なかなかできない稀有なものだと思います。
そういったケースの代表例が、『還魂紙料』に登場する「千年飴」という単語。辞書では、現在の千歳飴だと解説されています。ですが、改めて還魂紙料を見てみると、本文にも挿絵にも、千歳飴のように長い形状をしているという情報はありません。つまり、現在の千歳飴とはまったく別ものである可能性が高いのです。
私も高校生までは「分からないことがあればすぐに辞書を引きなさい」と言われました。今の学生も、分からないことや気になることがあったら、すぐにインターネットで検索するのではないでしょうか。しかし、その情報が正しいとは限りません。何事においても言えることですが、随筆は特にその落とし穴に注意しなくてはならないジャンルです。
人文学系の学びにおいては知識を蓄えることよりも、自分の頭で考えることの方が重要。そして、社会人になってから求められるのも、知識より「考える力」だと考えています。
社会のグローバル化はさらに加速していきます。幕末以降、絵入本の原本の多くが海外の浮世絵コレクターの手に渡りました。海外に研究者が多い背景には、そんな事実があります。また、明治時代の文学が、ドストエフスキーやトルストイといったロシア文学から大きな影響を受けていると知っていますか? 実は国文学は海外文化との関わりも深く、日本国内だけでは成立しない学問なのです。
これから国文学科は、日本文化の国際発信と語学の習得にも舵を切っていきます。どうか自分の興味を狭めることなく、幅広い領域に関心を持ってください。
国文学科での4年間で得られる、自国の文化への深い教養と「考える力」は、あなたが世界と渡り合うとき、きっと心強い味方となるでしょう。