軽部 利恵先生
当時の人々はどのように文字を使って
ことばを書き表したのか——。
奈良時代の日本語の文字表記を研究
軽部 利恵
KARUBE Rie
文学部 国文学科
専門分野?専攻 奈良時代の文字表記の研究(日本語学)
KARUBE Rie
文学部 国文学科
専門分野?専攻 奈良時代の文字表記の研究(日本語学)
[プロフィール]群馬県立女子大学 文学部国文学科卒、奈良女子大学大学院博士後期課程(比較文化学専攻)修了。日本大学 通信教育部非常勤講師。2022年より現職。
大学での授業がきっかけで、奈良時代の文字表記の研究の道へ
中学生の頃は近代文学、高校生の頃は古典文学に興味があり、大学では国文学科に入学しました。そして、大学の授業で出会った日本語学に知的好奇心をそそられ、中でも幅広い時代について学べる日本語史を研究したいと思うように。著名な国語学者である北川和秀先生の下で、卒業論文に取り組むことにしました。北川先生は国語学と上代文学を専門とされていて、授業では『万葉集』や『古事記』『日本書紀』についても教えていらっしゃいました。そんな北川先生の影響もあり、日本語史の中でも奈良時代に強く興味を引かれるように。同時に、文字表記にも強い関心を抱いていたことから、奈良時代の文字表記について研究を始めるに至りました。
奈良時代にはまだひらがなやカタカナは存在せず、日本語はすべて漢字で書き表されていました。その際、本来の漢字の表す意味とは関係なく表音の文字として用いた漢字のことを「万葉仮名」といい、これは『万葉集』や『古事記』といった書物や、木簡、古文書などの一次資料に見て取ることができます。万葉仮名の文字表記と用法は、現代日本語と異なる部分もあれば連続性を見いだせる部分もあります。では、果たして当時の人々は、文字を使ってどのようにことばを書き綴り、ことばをどのように組み合わせて文章を作っていたのか——。ことば全般、ことばが書き残された“もの”が私の研究対象であり、これが最大の関心事です。
上代特殊仮名遣いの「違例」に着目
現在の主な研究内容は、「上代特殊仮名遣い」と呼ばれる現象の「違例」についてです。上代特殊仮名遣いとは、上代の文献特有の特殊な仮名の使い分けのこと。歴史的仮名遣では区別しない音節(具体的には、「キ?ヒ?ミ?ケ?ヘ?メ?コ?ソ?ト?ノ?(モ)?ヨ?ロ」とそれらの濁音を示す万葉仮名には、2通りの書き分けが見られます。例えば、「キ」という音を万葉仮名で表す場合、「秋(あき)」や「君(きみ)」「時(とき)」の「キ」には「支」「吉」「来」などを使い、「霧(きり)」「岸(きし)」「月(つき)」の「キ」には「己」「紀」「忌」などを使うと決まっているのです。この時、前者の万葉仮名のグループは甲類、後者は乙類として分類され、甲類、乙類はグループ間で混用されることはないとされています。
しかしながら、上代特殊仮名遣いには甲乙が混同する違例も見られます。これまで違例については多数指摘されてきたものの、具体的にこの現象を深く掘り下げ、網羅的かつさまざまな資料を横断的に論じる研究はほとんどありませんでした。そこで、私はこの違例に着目して研究を進めてきました。
たとえば、「跡」という字は、語としての「あと」が甲類に分類されるのにも関わらず、万葉仮名としては乙類の語に数多く使用されています。この食い違いの理由について明らかにする必要があると考え、「跡」という字が『万葉集』『日本書紀』『仏足石歌』といった文献の中でどのように現れているのか、用例を洗い出してデータベースを作成。さらに、訓仮名の「跡」としてはどのように用いられているのかを詳細に分析しました。その結果、従来、「跡」をめぐる現象は上代特殊仮名遣いの違例と見なされてきたものの、実は語としての「と」(乙類)が存在していたことが分かり、訓仮名「跡」の使われ方は違例とはならないという結論にたどり着きました。この論文は、「萬葉学会」の論文掲載誌『萬葉』に掲載され、2022年度の「萬葉学会奨励賞」を受賞しました。
研究を学問的に社会へと還元するために
このように、奈良時代の万葉仮名を中心とした文字表記をテーマに研究しているわけですが、いずれも最終的な目的は社会への学問的な還元です。一つ一つの研究は個別的で一見役に立たないように見えるかもしれませんが、決してそんなことはありません。たとえば、これまで上代特殊仮名遣いのルールは厳密であり、仮名の使い分けは発音の違いによるものだという考え方が知られてきました。しかし、そこに見られる違例に着目すると、上代特殊仮名遣いの様相が厳密ではないという新たな見方が生まれます。これまで既定の事実とされてきたものを問い直すことで、多様な視点で物事を捉える力を身につけたり、これまで見逃されてきた物事に新たな価値を見いだしたりすることができるのです。
現在は研究と並行して、資料の整理や雑誌の編集作業、大学院(国文学専攻)の研究発表会の運営や、修士論文提出に関連する業務を行っていますが、2024年度からは授業やゼミを受け持つ予定です。もともと、生涯学習に携わりたいという思いがあり教員の道へと進みました。古い時代の日本語の文字表記には生涯学び続けられるだけの魅力がありますし、現代の私たちが使っていることばとのつながりを知れば知るほど興味関心が広がる学問分野です。ことばには数理では表せない面白さもありますので、ぜひ楽しみながら学んでもらえたらと思います。学生一人ひとりの個性を尊重し、教員の指導によって学生の将来を狭めてしまったりすることがないよう、丁寧な指導を心掛けていく所存です。