椎原 伸博先生
アートをなぜ美しいと感じるのか。
感性に訴える「何か」を解き明かし、
“曰く言い難いもの”を言葉にする面白さ。
椎原 伸博
Nobuhiro SHIIHARA
美学美術史学科
専門分野?専攻 美学?芸術学 アートマネジメント
Nobuhiro SHIIHARA
美学美術史学科
専門分野?専攻 美学?芸術学 アートマネジメント
[プロフィール]東京芸術大学美術学部芸術学科卒、同大学院美術研究科芸術学美学専攻、修士課程修了。玉川大学文学部専任講師を経て、2002年実践女子大学文学部に着任。
「美」という非合理な領域に挑んだ先人たち
私たちがアート作品や自然の光景などを目にしたときに、直観的に“言葉では言い表せない美しさ”を感じることがある。そういった感覚を考察し、「なぜどんな点に美しさを感じるのか」を言葉で紡いでいくのが「美学」の面白さだと椎原先生は美を言及する。「フランス語に“je ne sais quoi(ジュヌセクワ)”という言葉があります。日本語に訳すと、“曰く言い難いもの”。何だかわからないけど、その美しさに魅了されたとき、感嘆の思いが込められた言葉です。実写版の映画『美女と野獣』にもこの言葉が出てきます。ヒロインのベルに恋するガストンは、彼女の不思議な魅力を説明しようとするも、言葉につまります。その時子分のル?フウがボスに向かって“ジュヌセクワ?”と問いかけるシーンがあります。ベルにはまさに筆舌にしがたい“何か”があるということです。そうした極めて感覚的な“何か”を探り、深く考察していくことが美学の根源なのです」
椎原先生が「美学」を研究するきっかけは、古代ギリシャの哲学者、アリストテレスの著書『詩学』との出会いだったと振り返る。悲劇について考察した同著は、創作論の起源とされ、のちの美学や芸術論に多大な影響を与えた著書。「アリストテレスは “エイコス”という言葉を用いました。エイコスとは、“ありそうな仕方”と訳されます。演劇は虚構の物語ですが、突拍子もない出来事が描かれているのでは、観客は物語に入り込むことができません。筋を立て、実際に起こり得ることを真実らしく語ってこそ、観客は感動とカタルシスを味わえるのだと。芸術が人々に感動を与える方法論が深い考察のもとで語られており、私は大きな影響を受けました」
そして椎原先生の興味の矛先は、『詩学』が影響を受けた17世紀のフランス古典主義に向かっていった。当時は、ルイ14世の時代であり、ヴェルサイユ宮殿で繰り広げられるさまざまな芸術と、そこに集った人々の美意識に対する関心が深まっていったという。「機知に富んだ人のことを“エスプリがある”と言いますよね。17世紀のフランス宮廷社会においても、エスプリがあり良き趣味を持つ人こそが、美的判断力に優れ、理想的人間のモデルとされていたんです。しかし、“美”というのは極めて非合理的な領域。何をもってして美的判断力に優れていると言えるのか。その解明に挑んだ先人たちの考察はとても興味深く、美学の研究にのめり込んでいったのです」
公共空間におけるアートのあり方を考察
しかし、1990年代に入ると椎原先生の研究は変貌を遂げた。きっかけは、地域活性化プロジェクトだった。「東京の谷中に住んでいたご縁で谷中芸工展の立ち上げに協力しました。“まちじゅうが展覧会場”というテーマのもと、谷中に点在するギャラリーやアトリエ、路地や街角を舞台に、地元に根づく彫金やべっ甲などの職人やアーティストの方々の作品を展示し、街の魅力を発信するというものです。これをきっかけに、公共空間におけるアートのあり方に興味を抱くことになったのです」
以来、「パブリックアート」に主眼を置いた研究に邁進。当時、日本では社会問題にコミットしたアートが勃興し、やがてアートを地域振興や観光に生かすプロジェクトが全国各地で続々と立ち上がっていった。椎原先生はその動きをつぶさに凝視するなかで、公共とアートの間に起こる軋轢に目を向け、2000年には『ホームレスとパブリックアート』という異色の論文を書き上げた。
当時の問題意識について椎原先生はこう語る。「1996年に新宿西口地下道からホームレスのダンボールハウスの強制撤去が決行されました。その際、ダンボールハウスに描かれた絵画作品も一緒に撤去されたのです。そして、都はホームレスを寄せ付けないように、丸太を斜めに切ったような形状のオブジェを設置しました。また名古屋では、パブリックアートによる街作りの一環として、高速道路の高架下に設置されていた遊具は、街づくりの意図と反して、ホームレスの人たちの住まいと化してしまいました。そこでも行政によるホームレスの排除が行われました。美を共有し街づくりに寄与するはずのアートが軋轢を生んでいる。アートとは一体誰のものなのか、公共で共有するはずの美とは何なのかと、実際の現場に足を運び考えさせられたのです。」
このような問題意識は、美学の社会的なあり方への反省を促し、アートと社会を結びつける「アートマネジメント」への関心を深めていったという。
震災以降、震災モニュメントを研究テーマに
そして未曾有の震災、東日本大震災が起こる。330トンもの大型漁船が気仙沼に打ち上げられた光景は、テレビで幾度も報道され、記録に残っている人も多いことだろう。この大型漁船は震災の驚異をまざまざと見せつけ、震災を象徴するモニュメントとして訪れる人の目を釘付けにしたが、議論の末、2013年に解体された。一方、津波に耐えて生き延びた松島の「奇跡の一本松」は、復興のシンボルとされ、現在は人工的な手が加えられ、震災の記憶を後世に受け継ぐモニュメントとして立っている。
椎原先生はモニュメント化した現場に幾度となく足を運び、大震災のモニュメントに関する研究を進め、それは現在も続いている。「震災のモニュメントは、その土地を訪れる契機となり、実際に見て触れることで、記憶を喚起するという側面があります。そこには人々を惹きつける“何か”が宿っていて、視覚だけでは推し図れない。まさしく“曰く言い難いもの”があるのです。私が取り組んできた研究テーマと重なりあう領域であり、社会的にも芸術学的にも重要なテーマであると考えています」
自分の感性を信じ、「何だこれは」を掘り下げていく
椎原先生のパブリックアートという研究テーマは時代とともに変遷を経ていくもの。いわば、行き着くところのない研究ともいえ、時代性を読み解くことは言うに及ばず、気の遠くなるような気力?体力を要する。それを支えているのが、アートやモニュメントが感性に訴える「何か」を解き明かそうとする探求心である。美術作品を見てなぜ心が突き動かされるのか。音楽や演劇を鑑賞してどのような感動に包まれるのか。美学美術史学科で学ぶいずれのテーマにも、そうした感性の機微が宿っているのだと、先生は語る。「美学というと高尚な学問に思われますが、決してそうではありません。何も全員がモーツアルトを好きである必要はないのです。アイドル、ポップス、アニメ、コミック、映画など、興味の矛先は何だって結構。実際に見て体験し、自分の感性を信じて「何だこれは」と思ったものを掘り下げていく。そして、自分なりに考え、悩み、どうして心を突き動かされたのかを言葉にする。その姿勢が大切であり、ぜひその面白さを知ってほしいと思っています」
探究心旺盛なる椎原先生にとって、実践女子大学の学生たちの感性はいかんばかりか気になるところ。その問いに椎原先生は学生気質と学風をこう語って話を締めくくった。
「実践女子大学には、“私はこれが好き”と胸を張って言える学生が多く、自分なりにアンテナを張り、いろんな趣味を楽しんでいます。そうした仲間と刺激しあい、興味の連鎖反応が起こり、感性が豊かに磨かれていくこと。それが、実践女子大学で学ぶ魅力の1つだと思います」