SpaceDesign Labo, JISSEN Univ.
まず、空間デザイン研究室に入れたことが奇跡だと思っていました。希望者の数人が落ちる中でよく入れたな〜と思いながら2年間過ごして来ました。比較的ラクな研究室に入って2年間過ごし卒業することも出来たが、自分で忙しい研究室に入ったからこそ頑張らないといけないし、皆についていかないとダメだ!!って2年生の時思ってたのに……
私たちの代はポンコツを筆頭にスロースターターのマイペース集団だった(笑)。『十人十色』と言う言葉の通り、12人それぞれの個性があって持ち味があって誰と居ても楽しい時間を過ごせました。マイペース過ぎて、抜くところは抜くし色々ルーズでダメな部分もあったけど、皆で頑張る時はちゃんと真剣に取り組んでこれたのかな(たぶん…ね)。先輩達は自分達で計画して実行する優秀だから、先生と助手さんにとって私たちは最後までヒヤヒヤさせる存在だったかもしれません。
そんな私たちでも、やっぱり常盤祭の模型は頑張ったな〜。先生が研究室に居ない状況でサボる事なく皆で時間とクォリティーの大きな壁を乗り越え、成長出来たんじゃないかなと思います。自分の作業が終わったから良いんじゃなくて、同じグループ、同じゼミ生の事を考えて行動することを身につけ、この模型づくりをきっかけに私たちは更に仲間を意識するようになり、皆で協力し、積極的に行動出来るようになったように感じます。そこから就職活動だったり卒業制作だったり一人一人の作業だけど嬉しい事は皆で喜ぶし、落ち込んだ時は皆で励ます。誰かが泣いたら一緒に泣いたり、笑ったり同じ気持ちになれる皆が一緒だからどんな事があっても頑張ってこれました。空間デザイン研究室に入って居なかったら、こんな濃いゼミ生との時間は過ごせなかったし思い出も作れなかったと思います。他の研究室から橘ゼミって仲良いね〜って言われる事が私の自慢だったりします!それだけ皆の事が大好きです!
1、2年生はとりあえず学校行って家に帰る生活で、何してたかって言われたらバイトと、遊んでた記憶しかありません。学校でも思い出は仲良いグループで毎日一緒に過ごしてた事しかなく、楽しかったけど、これっと言った思い出は無いような気がします。
3年生からの2年間は本当に思い出が濃くてあっという間に時間が過ぎていきました。大学って決まった人としか話さないし遊ばないけど、研究室に入ってから初めて話した子も居るし人脈が広がったのは確実!研究室って言う自分の居場所が出来たことも大きな要因です。
4年間あの坂道を雨の日も雪の日も暑い日も歩いて辛いし何度恨んだか分からないけど、この坂を終えたら誰かしら研究室に居るから自然と少しは足が軽くなってたな〜。皆で駅まで降る事はもう無いけど、あの坂道は辛い思い出より皆で笑いながら通った記憶が強くて、改めてこの文を書きながら自分はゼミ生に恵まれて過ごしてきたなと実感しています。
大学1、2年とは違い、ゼミがあった2年間はあっという間でとても充実した生活でした。印象に残っているのは文化祭での模型作りです。精工で大きな模型でとても大変だったのと、グループになって一つのものを作り上げる大変さと楽しさ、スケジュール管理の難しさと、協調性の大切さを実感しました。
ゼミ以外でも建築に向き合う時間を増やそうと多くの本を読んだり、オープンデスクやコンペにも挑戦をしました。全部が自分の役に立ったかはわかりませんが、知らなかった新しい世界を経験して、自分が何を興味に持ってどんな将来にしたいかを深く考えることができました。
学生生活では自分の専攻以外のことに挑戦することも大事で、特に東日本のボランティアプロジェクトで震災の現場を目の当たりにしたこと、震災の悲しさを知ったことは、すごく大きな経験でした。
最後に、やらずに後悔よりもやって後悔の方が100倍良いです。時間にゆとりのある学生生活は、人生の中でもう二度とありません。大学は遊んでる人には何もしませんが、努力を惜しまない人には必ずサポートしてくれます。少しぐらい無理をしてでも、やりたいことにチャレンジしてください。
全て終わって今思うことは、橘ゼミに入ることができてよかったなと思っています。私は既にサークル活動で、皆でサークルを動かすこととか、学祭の準備で毎日学校に行くこととか、学生じゃないと経験出来ないようなことは既にやれていると思っていましたが、ゼミではサークルでは経験できないようなことができました。体育祭でみんなで二人三脚で全力ダッシュしたり、ゼミ合宿では様々なハプニングが起きたり、学祭準備は自分のチームで上手く動くことができなかったり、卒制はみんなで励ましあいながらなんとか毎日学校に行ったり、スロースターターすぎる自分は色々な人に迷惑と心配をかけましたが、人間的に成長できた2年間でした。橘ゼミたのしかった!です!!
正直ゼミ選びの際は、空間デザイン研究室か環境デザイン研究室がいいな!でも橘先生の方が優しそうだし、やりたいこともこっちよりかなーと思ってとても悩んで選びました。今では橘先生と助手さんとゼミのみんなに囲まれて過ごした2年間はとても楽しいものでした。親戚のような、もう一つの家族のような、いつでも受け入れてくれて安心出来るわたしにとって、とても大切な場所で宝物です。
まずなにより三年生の模型作りでチームで距離が縮まったなあと感じます。仲良くなかったわけではないけれど、ちょっとまだ少し気を使いながら接していました。そんな中意見が合わなかったり、なかなか作業が進まなかったりぎくしゃくして、またそれにイライラしたり、悲しくなったりして‥みんな同じ方向に進もうとしているのになかなか車輪?が合わない日もありました。だけど、少しずつ互いに意見を出し合ったり、励ましあったり、同じ音楽を聴きながら、同じお菓子を食べながら毎日顔を合わせて過ごしていると自然に打ち解けていきました。私たちのチームは家具とかが多かったもあって、終わったのは一番最後だったけど、ゼミのみんなや先生たちの手も借りながら頑張りました。最後はみんなに見届けられながら完成させることが出来たとともに、いつの間にかわだかまりもなくなって、いつの間にか仲間になっていた気がします。とても嬉しかったし頑張って良かったなあと心から思いました。集中力のない自分だけれど、みんながいると足を引っ張ってはいけないという責任感で、毎日学校に足を運んで頑張れました。
卒業研究は本当に学生生活の集大成で、一番悩み苦しみ頑張りました。皮膚が痒くなり皮膚科に行くとストレスによる痒みと言われ、歯が痛くなり歯医者に行くとストレスによる親知らずの痛みと言われました。そして寝不足で毎日眠くて、毎日同じことの繰り返しで曜日感覚を失いました。でも唯一の楽しみは食と、みんなに会えること!ほんとそれだけを励みで原動力でした。また子育てひろばのお母さんたちに「頑張ってね!」と声をかけてもらったり、1度しか会ったことない方なのに「あ!久しぶり!まだ頑張ってるの?応援してるよ!」と声をかけてもらったり、ひろばの人と一緒に食事をして会話をするのが嬉しかったです。ひろばでボランティアもしながら子どものの笑顔や、楽しそうにしている母親をみて子育てひろばの必要性や、居場所としての重要な役割を担っているということを知り、また自分自身での勉強にもなりました。
このようにゼミでの生活には、苦しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、楽しいことの全てが詰まっていました。まだまだ自分には不足している部分がたくさんあるけれど、この2年で打たれ強くなれたし、涙もろくもなったけど成長出来たのではないかなと思いました。
大学の4年間あっという間でした。人生の中で、まあ、まだ21年しか生きていないけれど、一番課題や勉強、就活や卒業論文に苦しめられたり、仲間でなにかに取り組んだり全てが濃くて楽しい時間でした。一年生は学校や新しい友達と生活に慣れようと、二年生では課題や資格に頑張ろうと必死な年でした。そして三年生での研究室が決まってから、研究室で過ごした毎日が一番の思い出です。みんなに出会えて、良かったです。わたしがポンコツなのは昔からだけど、先生を始め、助手さんもゼミ生もみんな私を見捨てないでくれて本当にありがとうございました。そしていつも危機的状況にならないと取り組めないしギリギリで生きていたことが反省点です。焦っているのに昼寝をしたりしてごめんなさい。みんなそれぞれに忙しい中、わたしが心配や迷惑をかけるから助けてくれて‥貴重な時間をくれたこと心から感謝しています。
こんなポンコツな私だけれど橘先生の研究室に決めた選択だけは間違ってなかったと自負しています(笑)
2年生の時、橘先生の人柄と橘ゼミの文化祭は毎年すごいなと感じ、私もみんなで模型を作りたいと思いこの研究室を選びました。実際に3年生の文化祭では、3グループに分かれて石川・富山の模型を作りましたが、たくさんの苦労がありました。仲間と作る模型は予定の合わなさや、ペース配分などうまくいかないこともありました。リーダーが予定をきっちりと計画してくれて、私も一緒に頑張ろうと思いたくさん学校に行き、一緒に頑張りました。そして作品が完成した時の、努力の達成感や賞をいただいた時の嬉しさは今でも鮮明に残っています。
4年生での卒業研究は、本当に1年長く何度も逃げ出したいと思っていました。他の大学の子や違う学部の卒論の話を聞いていると、なんでこんなに忙しく大変なことをやっているんだろうと感じてました。けど学校に毎日行った分、ゼミでの思い出が強く、辛さや喜びを分かち合える仲間がいることがとても幸せに感じ、良い環境でした。2人で卒研をやるのは大変な部分もありましたが、2人の意見を合わして協力して予定より早く仕上げることができてよかったです。
大学生活は決まった友達としか関わっていなかったので、もう少し輪を広げたかったなとも思います。でも、4年間とても楽しく過ごせました。1年の頃から建築・インテリア・プロダクトを学んで、模型作りはいつも徹夜でしたが、完成した時の達成感とかやりがいがありました。もっとインテリアについての授業がたくさんあればいいなと思います。
大学生活・就活を通して、自分の性格を見つめ直せました。この学科に入っていなかったら、就職先を決めるのにも時間がかかったと思います。大学で専門的に学べてよかったです。生活環境学科に入って橘先生のもとで学べてよかったと思いました。本当にありがとうございました。
学年が上がるにつれ、授業数が減り楽になると思っていたが、寧ろ忙しくなったように感じた。それはゼミの毎週出る課題が原因(笑)。私は与えられた課題はとにかく早めに終わらせ、スッキリさせたい性格だが、これが数人でやろうとなるとなかなか簡単にいかないもの。イライラすることも多々あった。だが、どのようにすれば上手く期限までに完成できるか、この人はこういう性格だからこの部分をやってもらう、など策略を考えることが鍛えられた気がする。せっかちな私だが、ゼミ生の影響で多少は、まぁ何とかなるか、という精神が芽生えた(良いのか悪いのか分からないが)。改めて振り返ってみると、他のゼミより、みんなで何かをすることが多かった。パンフレット作りやビデオ作り、常盤祭…。その分、どこのゼミよりも全員の仲が良い(確信)。
常盤祭では、4人で制作をしたがなかなか予定が合わないもの。こんなに時間がないのに、サークルは確実に行く、バイトに行く、などでみんなで作業することは難しかった。まぁ本人たちに直接言える自分なため、言われた人からしたら、ウザかっただろう。最終スパートでみんなが本気を出し、想像以上のクオリティの環水公園の模型が完成した。終わってしまうと呆気ないものだったが、打ち上げの時に開放感と達成感が溢れ出し、泣いてしまったのを思い出す。嬉しくて泣いたのは、人生始めてだった。最初はめんどくさい、と思ってたが、本気になれる機会を与えてくださって感謝である。
卒業制作は、4年生になる前は絶対に論文と決めていたが、春休みが早く終わるということだけで、制作組に勧誘されまんまと引っかかった。(それだけ素直だと思っとく。)最初のうちは、何からすればいいか分からなく、とりあえず何か調べて先生に意見をもらうスタイルだったが、先生のたった一言だけで一週間のすることがガラっと変わっていった。毎週、異なることを調べていたからこそ、色んな情報が集まって今回の卒業制作になったと思う。先生や助手さんからは直接は聞かなかったが、とにかく今年はマイペースすぎて焦りがない、との事を小耳に挟んでいたが、本当にゼミ生全員がほんわかしているため特に私も焦っていなかった。その分1月は鬼のように学校に行き、夜遅くまで制作をし続けたた。しかし、短期集中として考えれば結果良かったのかな、と思っている。先生の気持ちを思えば、もっと早めから本気で考えて早くから模型に入って欲しかったと思うが…。
1月中、制作組のみんなは順番に頭がおかしくなってきたが、それはそれで面白かった。普段はあんなに真面目なのに、こんなこと言うの!?とか、イライラして口が悪くなったりとか。色んな一面が見れて楽しんでいた。
制作評論会で、先生達の正論を言われ、納得したが、そんなに言われるとは思ってなくて2、3日は立ち直れなかった。そして改めて違う視点からの意見はこんなにも出るのかと感嘆した。また、自分の頭の中でファンタジーを作り上げたことに対して想像力が豊かだと自画自賛しておく(その位の気持ちじゃないと辛い)。
高校生の頃、自分のやりたいことを大学では勉強したいと思っていて、それが建築やインテリアだった。そうなると、田舎だとそういう学校はなくて、必然的に都会に出なければならなかった。実践に来てから、まずは標準語を習得するのに大変だった(まだまだ標準語は難しい)。女子特有のグループを作る風習が大学からなくなり、毎日色んな人と話せて面白かった。行く場所が山ほどあり、今まで生きていた自分の世界ってちっぽけなもんだったな、と感じたりも。一人暮らしで、家事をする大変さも知ったりと実家にいた時よりもかなり成長した。元々、歩くのも怠いと思ってたくらい面倒くさがり屋で、家に常にいるインドア派だったが、上京してから普通の人の3倍くらいアクティブになっている気がする。そのお陰か初対面の人と話すことが好きではなかったが、今は得意になってきた。人って環境でこんなに変わるものなのかと自分でも驚きだ。授業も真面目に出て、ある程度、勉強してみた。資格も取ってみた。サークルもアルバイトも遊びも大学生になってから色んな経験を一気に味わった。親が言う色んな経験をしてほしいということはこういう事なのか、と今思えばわかるような気がする。大学生活で後悔はほとんどない。ただ一生大学生でいたい。(笑)
2年間、大変なことも楽しいことも沢山あったがあっという間だった。女子大という抵抗感もあったが、来てよかった。いい大学生活だった。こう思えるのも、友達のお陰。いい友達に囲まれて本当に感謝でしかない。この大学の面接の時に橘先生が面接官だった。あの時期、体調が悪すぎて受かるかわからなかったが面接が得意な私はかなり話を盛って盛り上がった覚えがある。私を入れて下さりにありがとうございました。ここから、私の大学生活が始まったかと思うと何度も言うがあっという間だ。よき大学生活でした。
毎週課題がある橘ゼミ。
自己紹介からはじまり、家の間取りを書いて部屋紹介をしたり、自分が気になっている建物や本などを紹介したり、最初は面倒だと思っていたけれど、今となってみればそうやってみんなのことを徐々に知って行くきっかけがあったからこそ、今みんなと深く仲良くなることができたと思います。
ゼミ旅行もただ遊びに行くだけでなく、勉強をするために綿密なスケジュールを組んでくれていたので、学びのなかの遊びが自分たちにとってはとても楽しかったです。
文化祭も、時間に拘束されたり、他のメンバーと合わせないとという思いがあったり、なかなか合わせられなくて迷惑かけたり、いろいろあったけれど、普通に生きている中であれだけ時間と労力をかけて人数を割いてできる作業はほとんどないだろうし、あれだけ大きく成果が作品として残る体験はなかなかできないと思います。卒業論文も、他のゼミと比較してしまうと苦しんだけれど、それでも今終えていい思いとして残っているのは、卒業論文として分厚い冊子に残せた達成感と、一緒にゼミのみんなと過ごした日の楽しい思い出があるからだと思います。生まれ変わったら卒業論文をやるか悩むところだけれど、あれだけみんなと楽しい時間が過ごせるならまたやってもいいかな。
ゼミに入って学校生活がガラッと変わりました。特に思い入れも何もなかった学校が、ゼミが居場所になって、そこに行けば誰かがいる落ち着く空間になっていました。
毎日過ごしていたら、嫌な態度を取ってしまう日も、自分勝手な日もたくさんあったけれど、それでもいつも同じように接してくれるあったかいみんながいたから本当に学生生活が楽しかったです!そして、そんな環境を見守って、影でこっそり作ってきてくださった橘先生と助手さんには本当に感謝しています。
4年間ポンコツは治らず卒業するけれど、社会人になってポンコツ卒業してしっかりした大人の女性になってまたみんなと学校で会いたいです(笑)
ゼミは、入った当初はthe女子大生みたいなテンションの高さについていけないし「橘ゼミみんな仲いいよね」と他ゼミに言われるだけに中に入っていきにくいしで、なんとなく距離感を気にしていた部分もあったんですが(笑)。毎週ゼミの時間はしっかり集まらなきゃいけないし、課題はあるし、プロジェクトだったり文化祭だったりハロウィンとかクリスマスなどの行事でなんだかんだ過ごしていくうちに環境にも慣れれたかなと思います。なかでも卒制・卒論が激化していた時期に一気に距離感縮まった感じがします。毎日長い時間一緒の空間に居てみんな満身創痍の中一緒にいて、いろんな一面を知られて、話ができたのがすごく貴重な時間だったなと思います。
4年生は特に就活、教育実習、卒制でキャパオーバーで、てんてこまいだったので、精神的にも落ち着けない日々でした。私自身は、みんなが夏前に就活が落ち着く中で、つらいとき誰に話を聞いてもらおうと考えたときに、大学の中で頼りにする大人を見つけて聞いてもらっていて、そうすることで気持ちが楽になったりすることが多かったです。どんな場所でも人でもいいので自分が一番楽に、抱え込んだことを吐きだせるところを見つけられたらたぶんすごく心強いと思います。
4年生が、一番つらい学年だったけど、一番充実した学年でもあったので、後輩のみんなにも、学生生活に後悔のないように頑張ってほしいなと思っています。
まずは初めに、模型制作では環水公園組のリーダーとして、とにかく毎日学校に行ったなあという記憶があります。リーダーらしく計画を練ったり、指示を出すということはあまりできなかったけど、毎日学校に行くことで作業を継続的に進め、他の子もやる気になってくれるかなと思ったからです。案の定その思いを周りの子も分かってくれたところが、このゼミのメンバーで良かったと思う所です。ゼミ全体で言えることですが、誰かがやってるからいいや、じゃなくて、誰かがやってるから私も頑張るという風に思ってくれるゼミ生が集まったからこそ、素晴らしい模型ができたと思います。一人一人が頑張ったことは、その後の打ち上げのみんなの涙が証明しているんじゃないかなあ。
次に卒業研究。一人で老人ホームの研究をやると決まった時は、まあ何とかなるだろう!と思っていたけど、いざ進めてみると大変な部分が多々ありました。さらに、私は棚や暖簾を作ったり色塗りをするという制作的な部分もあったから、途中で私は卒論だよな?何をしてるんだろう?と何度も思ったし、提案についても、もっといい方法があったんじゃないかとか、何でこうしたんだろうとか、先に進むにつれてと後悔する面が増えて、自分に自信がなくなった時期もありました。でもスタッフや家族から好評だと聞けたり、なりより高齢者の方の笑顔や嬉しそうな反応を見ることが出来きたことで、私のやったことは無駄ではなかったと思わせてくれました。
もともと前に出るタイプではなく、知らない人と一人で話し合いをしに行くなんて苦手中の苦手でしたが、老人ホームに行ってスタッフの人に説明をしたり、模型を用いてプレゼンせざるを得ない場面が沢山あったことで、自分の中であれ?意外といけるんじゃないか?という自信が湧いてきました(笑)。伝えようとする気持ちがあれば、向こうも答えてくれるんだなということが分かったことも成長のひとつだと思います。
このような機会を与えてくれたり、車を出してくれたり設置をしてくれたりと全面協力してくれた橘先生と、いざという時に支えてくれたメンバー、助手さんには本当に感謝しています。
大変なゼミだよと言われていたけれど(確かに大変ではあったけど)、良いメンバーと橘先生、助手さんのいる素晴らしい環境に2年間身を置けたことで、自分のダメな所と、良いところを沢山知ることができ自分が自分のことをもっと分かったような気がします。そしてそんな私を受け入れてくれるこのゼミは私の居場所そのものでした。本当にみんながいたから出来た模型、卒論、このゼミ全体であると思っています。ありがとうございました!!!
本当に学生生活はあっという間でした。慣れない一人暮らしから、アルバイト、学業ととにかく毎日が目まぐるしく過ぎて行きました。学業に関してはきっと不真面目な方で、何か学問的に極めることができたとは言い難いですが、ものを作るという自分の好きなことができる授業が多かったことは、この大学を選んで良かったと思う点です。あと、気の合う仲間が出会い楽しい毎日が送れたことは、本当に幸運でした。
そしてゼミで一つのことに仲間と共に目標向かって頑張った経験ができたことは何より自分の財産になったと思います。
まず、ずっと入りたいと思っていたゼミに無事入ることができてうれしかったです。元々交流のある子たちが多かったけれど、特に関わりが多かったというわけではなかったので不安などもありましたが、このメンバーならやっていけそうだなとわくわくした気持ちが大きかったです。
ゼミ合宿でより仲良くなれて、いざ文化祭の模型に取り掛かることになりましたが、私の中での一番の後悔はここにあります。サークルの引退時期と重なり、そちらを優先して行動していたこと。せっかくの賞を頂いたけれど、あれは私以外のみんなが頑張って取れた賞だったと未だに思います。先輩が寝る間を惜しんで超えた壁を、私には超えることができませんでしたが、それでも一生懸命に頑張ってくれて、責めないでいてくれたみんなの優しさが身に沁みました。
4年になってからは、就職活動、卒業研究と個人で頑張らなくてはならなかったけど、研究室で作業をしていると、うるさいのにとってもはかどりました。3年の模型製作やテスト勉強も、もっとゼミ室でみんなとやればもっと頑張れたんじゃないかなという後悔もあります。それくらいみんなの存在は大きくて、みんながいたから大変だけど楽しんで乗り越えることができたと思います。
私は1年生の頃に建築分野をやろうと決めましたが、入学当初はやりたいことが決まっていなくて、とりあえずどっちもやってみようと経験できたのはすごく良かったです。その上で建築分野に興味を持って大変さも面白さも知ることができ、私の就職先もこの大学でこの分野を学んできたからこそだと思います。
学業とのバランスは取れていませんでしたが、サークル活動に熱を入れることができたのも思い出です。みんなでひとつのことを一生懸命にやってきて、楽しんで、仲間ができて、という意味では橘ゼミとちょっと似てるかな?私はただゆるく、楽しくよりもそういう環境が性に合っていて、今までも選んできたので、橘先生のつくる環境も好きだったのが空間デザインのゼミに決めた理由でもあります。
学科が大きすぎない規模だからこそ、沢山の子と仲良くなることができて、アパレル・プロダクト・建築の垣根を超えて交流できたのもうれしかったです。
卒業研究を終えた今は達成感に満ち溢れています。制作の日々を振り返ると年明け前はこんな大きな模型を完成させることができるのかとても不安でした。1月から評論会までの約1ヶ月は時間との勝負でした。学生生活の中で1番忙しかったです。でも、卒業制作をやって良かったと思っています。それは自分の限界を知ることができたからです。もちろん、限界を知って落ち込んだこともありましたが、先生や助手さん、ゼミの皆に助けられながら自分の限界を超えることができたと思っています。私1人ではこの「街gram」という作品は完成できなかったです。周りの人達に感謝です。改めて橘ゼミで良かったなと思います。
この2年間を振り返ってみると、いつもどんな時もゼミの皆と一緒にいました。家族よりも一緒にいる気がします。白い橘Tシャツの体育祭から始まり、初日からハプニング有りの夏合宿、みんなで作り上げた文化祭「そうだ北陸へ行こう!空間デザイン研究室発〜北陸着」、就活、卒業研究、楽しいときも辛いときも同じ時を過ごして研究室で笑って泣いて、一人一人の個性がたまにミラクルを起こす私達 (笑)そんな橘ゼミのみんなが私は大好きです。そんな日常がもう終わってしまうと思うと寂しいなと思いますが、いつかまた集まれたらいいなと思います。
私は空間デザイン研究室で過ごした2年間が大学生活の中で最も充実した時間になりました。空間デザイン研究室は、個人で活動するよりもみんなで活動することが多かったため、その分どこのゼミよりも結束力が強くなったように感じます。
3年生で1番重要な文化祭で、私たちのグループは過去最大規模の模型を制作しました。制作を始めた頃は期限内に完成するのかという不安が大きく、制作していく中でグループ内で意見が食い違うことが何度かありました。しかし、一人一人の意見を大切にし、話し合いを重ねることで自分たちが満足のいく作品を作り上げることができました。自分の考えだけではなく、人の考えを共有しやすい環境であることを感じました。その後の設計製図の授業では他の研究室の友人から空間デザイン研究室の子たちの模型のクオリティが上がったという声が多くあり、みんなで喜んだことを覚えています。友人の考えを共有することで自分の考え幅を広げられたこと、自分1人では絶対に作ることができない大きな作品を作り上げることができたことが、その後の活動への自信にも繋げることができました。
私は実践女子大学に入り、周りの人に恵まれたなととても感じます。それは研究室の存在が大きく、今考えると2年間という短い時間ではあったけど、濃く、充実したものになりました。遊びだけではなく、研究室の活動、授業もあったからこそ悔いのない学生生活になりました。研究室のみんなとは良い刺激をお互いに与え合いながら活動することができ、誰かが頑張っているから自分も頑張らなきゃ!と思うことが自分の周りの環境に多くありました。その環境が今では、人のことでも一緒に喜んだり悲しんだりすることができるような関係を作ってくれたように感じます。私はこの関係を卒業してもずっと続けていける自信があります!大学生活は自分の人生の中でとても大切な時間になりました。この大学生活の思い出を胸に今後、社会人として一生懸命頑張っていきたいと思います!
2003-2018, Space Design Laboratory, JISSEN Univ.
Status: 2018-04-09更新